私見です

そろそろ、1学期の成績が見えてきた時期です

学校では、【3観点の絶対評価】になっています
多くの子達が、4と5を獲得します
当然ですが、成績に対する説明責任があります

わたしの場合は、「これをやらなかったから、減点」ではなくて
自由課題をいくつも設定して、好きなものを生徒が自ら選び、そのクオリティに応じて加点をしていきます

最低限こなさなければならない必須の課題は、底辺のレベル設定をしています
つまり、『2』を確保したいのです



本時が、提出の期日である場合、真っ先に手を差し伸べなければならない生徒は
必須課題の未完成者です
なぜならば、評定が『1』になるからです

高得点を狙う子達には、二番3番と待ってもらいます

その時間に、わたしが作成した動画をみて取り組む子もいます

そうは言っても、1人に3巡は回れます
ただ、順番が遅くなることと、待つことは理解してもらいます

明日は、我が身のお互い様のルールです
 

その前提の授業中のお話です

 

 

 


「せんせー。これ、どうやるんですか~」


「後で行くから、ちょっと待ってて
タブレットも先に見ておいて」

 

「見ても、分かんないんす」

 

「うん。こっちが、終わったら行くよ~」

 

「なんだよ!見捨てるのか」

 

「・・・・」

教卓を、思いっきり叩き「もうやんね~」

実話です

 

詳細は、様々なバージョンがありますが
見放された

見捨てられた

という、被害妄想を言葉にする子が増えました

彼ら達の日常生活では、そんなに頻繁に排除されているのでしょうか?

椅子や机を乱暴に扱い、威嚇する生徒たちも増えましたね

彼ら達の日常生活では、そんなに頻繁に怒りによって制圧されているのでしょうか?

可愛そうだな~ とも思いますし
ここまで、荒れちゃうと 本人も辛いだろうな と同情もします

 

穏やかに落ち着いて授業をしている子達も かわいそうです

机や椅子は、自分へ飛んでくるのかもしれない・・・・というストレスの中で教室にいなければならないからです
実際に、飛んできたことのある子もいるようです

順番を待てずに、吠えるわけですから
優先的に指導を受けている方が、『自分が、待とうか?』と悪くも無いのに
譲ったり、遠慮したり、自責したりして
結果として、未完成になった子もいます

 

う~~~ん?
これが、本当に平等なのか?

 

実際、例に挙げたこは『必須課題』は終わっているのです

自分は「2」確保できているのだから
現状「1」の友達に協力して、自分は待とう

という、人としての道理が納得できない

「3」を狙っているのだとしても、順番は必ずまわってくるのだから 待てばいいだけの話です

「やらされている」と勘違いしているから

やってやってるのに、もうやんない』とわめくのでしょう

それが障害。。。と言えば、そうですが
何でもないようなことが、癇に障って自分を制御できなくなってしまう。。。

 



悪いのは、性格でも頭でもなく【脳】なのですから

  • ルールが、理解できない
  • 順番が、守れない
  • モノの道理が、納得できない

のであれば、それらがまかり通る世界で生きていく方が、当事者にとっても幸せなのでは無いでしょうか?
 

これが、4~5人に1人の指導者がつく授業であれば
彼らも、こころ穏やかにのんびり学べるのでは無いでしょうか・・・・



そして
現実は、残酷だな~ と思いました

なぜならば、その子がわめいている時に、その子の友人たちは

嘲笑っているのです

「何やってんだよぉ あはは」

「もう止めとけよぉ アハハ!」

人の不幸は蜜の味とばかりに楽しんでいました

モノを乱暴に扱うことはダメ!  という、小学生で習得しているべきことを
公衆の面前でやってしまう幼稚さは、確かに道化でしょう

苦しんでいる人を嘲笑うことは、人としてやってはいけない事  という、

道徳的なことを分かっているのに
教室や仲間内という限られた空間では、いとも簡単にやってしますという現実・・・・

笑った方も、笑われた方も、後々に心の傷にはならないのでしょうか?

自制が効かなくて苦しんでいる人
もらい事故で、ストレスにさらされている人

人の道を外し、自尊心を下げている人
そして、すべて他人事と場に貢献しないズルい人・・・・・

いまの教室に、本当に良質の深いインクルーシブ教育を受けている人がいるのかな~?