【前書き】
この文章は2007年末にGREEに載せたブログです。「2007年」というSNSの黎明期としての時代感覚に物凄く媚びた部分も散見されますが、僕のゆうきまさみ先生の印象はこの頃には既に固まっていたので、備忘録として再掲載させて頂きます。あざといとかキモいと思われる言い回しも多々有るでしょうが、せめて僕が最も言いたかったことだけでも読み取って頂けましたら幸甚です。
以下、当時の実際の本文です。
今晩は。
ソニーに対して、
このまま契約してくんないなら、全然違う角度から不買運動起こしちゃうぞ?的なめっさ陰湿な計画を練るのにさっき頓挫した、
ランドスケープです!
(バカたれ)
。。。
そんな風に意外にも陰険で卑怯者な一面も持つランドスケープ君の素の姿はさておき、
今回は漫画家ゆうきまさみと彼の代表作である『機動警察パトレイバー』及び『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に関して語り倒したく思っています。
。。。
今、岡田斗司夫?って思った?
。。。
思いましたよね?
。。。
止めてもいいですか?
。。。
やっぱりこの話題、
。。。
止めてもいいですかね?
止めたらそんな偏見は捨ててくれますかね?
。。。
そんな岡田さんへの間接的な侮辱もさておき(テヘ)、
今日はさっさと本題に入りたいと思います!
(よく言うぜ)
あれはまだ、
受けたくねえよと言い張ったものの、超強面の父上(何で昔から、いつも僕の横には怖いおじさんしかいないんだろう?)の連日連夜の恫喝に根負けして記念受験して落ちた早稲田ショックも醒め遣らないし、このまま永遠に春なんて来なければいいのにと耐えず強く願った忌まわしき3月の半ば頃の話だ(文体変わってない?)。
僕の家には都合3台のテレビがあったのだが(ホントに変わってる)、その内の一台の上には一冊の見馴れないコミックが置かれてあった。
「ねえ、これお前の?」
「うん」
「面白いのかよ?『パトレイバー』なんて」
「読んでみりゃいいじゃん」と、兄の訝し気な問い掛けに不快感を露にしながら発せられた弟の返事に刺激されながらもやはり半信半疑でそのコミックを読み始めることおよそ20分。
「2巻は無いの?」とアホ丸出しな心境の変化から咄嗟に出てきた兄の再度の問い掛けに対して、「無いよ」と弟は冷淡に応えただけであった。
。。。
とゆう訳で読む前はめちゃめちゃ馬鹿にしてたのに実際に読んでみたらもっとめちゃめちゃ楽しい『機動警察パトレイバー』でありました。
。。。
正直(東野幸治口調じゃないよ?)、
読む前はどうせガンダムのパクリだろ?ぐらいにしか思っていなかったのですが、結局読んでみて分かったのは舞台は普通の日本の警察がベースにあるからガンダムよりもずっと身近な話として読み進められるし、登場人物の造形に関してもガンダムとは全く違ってテレビのバラエティー寄りのドラマみたいで凄く新鮮に感じたのを今でも強く憶えています。
特に好きだったのはやはり、
後藤隊長でしたね。
基本は昼行灯、でも必要に応じて往年の「カミソリ」ぶりを発揮する彼の人物像の奥と懐の深さには、未だに脱帽してしまいます。
もちろんガンダムにもガンダムの良さは明確にあって、それはどの登場人物を主人公として捉えても大丈夫なぐらいのキャラクター設定の深さと細かさにあって、誰にだって感情移入してしまっても可笑しくないだけのキャラ作りの凄さがある訳ですが、独立愚連隊の第二小隊にも主役脇役の垣根無しに楽しめる「チーム」としての面白さがあって、そのユーモラスな掛け合いがホントに好きでした。
続いて『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に関してですが、これはいわゆる競馬漫画でして、実は僕、競馬って大好きなんですよね。テレビ中継を視始めたのがナリタブライアンが皐月賞を勝った頃で、ちょうと同じ時期にダビスタやウイニングポストみたいな競馬ゲームが流行り始めて僕もすっかりそれらのゲームに夢中になってしまって。
面白かったのはそのウイニングポストと云うゲームにはサードステージと云う名前の馬が主役的な扱いで出てくるんですが、それが『機動警察パトレイバー』の中の後藤隊長と本庁の刑事達との会話に出てきたり、その後藤隊長も『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の中にほとんどエキストラとして登場したことでした。
こうゆう手法や演出はもちろん他の古今東西の漫画家も導入している訳ですが、ゆうきまさみのスタイルが一番さり気なくて僕は好きです。
たぶんこれって、現代フランス哲学の先駆者の一人であるロラン・バルトのテクスト論の応用なんだろうなって気が凄くしちゃうんですよね。
どうゆうことかってゆうと、
「インターテクスチュアリティー」(日本語に訳すなら「相互テクスト性」が一番収まりが良い気がします)という単語を皆さんはご存じでしょうか?
既に先ほど紹介しましたロラン・バルト等がその概念の先駆者なんですが、要するにあらゆる文章(≒「テクスト」。テクストとは「織り物」のことで、この世に存在する全ての文章が、何らかのかたちで織り物のように繋がっていると云う文脈からバルトが頻繁に使用した学術用語です)は、それが書かれる前に「読まれた」別の文章が書き直され編集し直された(この過程のことを、現代フランス哲学及び文芸批評においては「エクリチュール」と呼びます)ものに過ぎない。
大事なのはその影響関係がいかに幸福な形で連綿と継続し、進化するのかだけだ的な文芸批評上の方法論の一つな訳ですが、そんなバルトのテクスト論はそのまま全ての「アート」的な何かが生成される過程に完璧に当てはまると僕は思います。
音楽も絵画も漫画も、
映像表現だってきっとそうです。
そしてたぶん、
ゆうきまさみはそのバルトの理論を応用した上で逆手に取って、その理論自体を茶化したような演出を読者が忘れた頃に施すんじゃないかって気が凄いします。
それこそ20世紀最高の小説家として名高いジェイムズ・ジョイスをも彷彿とさせる洗練された前衛的技法でもって。
何でそん風に思ったのかと云うと、ゆうきまさみには『となりの異邦人』と云う短編集があるのですが、それを読めば彼がパロディーに手を染めるのが大好きなのが丸分かりで、こんなにも深い教養の持ち主ならそれぐらいのことを企てても不思議じゃないなって感じちゃった訳です。
そしてまた、この漫画には、もう一つの偉大な足跡があります。
何を隠そうこの僕のブログ・ネームの「ランドスケープ」は、この漫画の最後の方に出てくる外国産で栗毛の最強怪物4歳馬であるランドスケープに由来しているので
す!
このランドスケープと云う架空の馬には実在のモデルがいまして、その馬の名前はエルコンドルパサーと云います。(註・実際にはランドスケープのモデルはグラスワンダーとも言われています)このエルコンドルパサーも劇中のランドスケープと同じように1998年に4歳で(現表記に置き換えると3歳になります)ジャパンカップを制しまして、何とそれにも飽き足らず翌年にはフランスへの長期遠征を敢行し、見事G1のサンクルー大賞典を制覇、更には世界最強馬決定戦の凱旋門賞にも挑戦して、奇しくも当時の欧州最強馬であったモンジューの2着に破れたものの、現地の競馬関係者及びファンを大震撼させた日本競馬史上最強馬なのであります。
ディープインパクトももちろん凄かったけど、海外での実績はエルコンドルパサーの方がずっと上ですからね。
エルコンドルパサーこそ史上最強だと主張し続ける競馬ファンは僕も含めて今でも根強く沢山います。
そのエルコンドルパサーは結局翌年には引退して種牡馬入りを果たすのですが、何と2002年の夏頃に急逝してしまいました。
ちょうどこの時期には僕自身も諸事情が重なって鬱気味だったのですが、この訃報を耳にしてより一層欝になってしまいました。
本当に、大好きな馬だったものですから……。
さて話題を肝心のランドスケープに戻しますが、この単語を和訳すると「視野」とか「視界」と云う意味になりまして、それが僕が学生の頃に授業で読まされていた哲学系や社会学系の文献におきますともっと先に踏み込んで「世界観」と訳されたりする場合もありました。
そう、「世界観」です。
この「世界観」と云う日本語の単語に限って云えば、一時期頭の悪いロッキング・オンのライター達や安易に「自己表現」なるものを称揚する俗物達(この問題に関しましては明日更新する文章の中でじっくりと言及するつもりです)が頻繁に濫用する決まり文句でしたので大っ嫌いだったんですが、「ランドスケープ」と云う言葉の語感や響きと、それらが喚起するイメージ自体は僕も大好きだったんです。
僕が『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』をちゃんと読破したのはその連載が終わったずっと後の2004年頃だったのですが、この物語の中で「ランドスケープ」と云う名前を借りたエルコンドルパサーの化身に出逢って、一気にその単語に対する不信感みたいなものが消え去った訳です。
そしてそんな経緯があったため、僕はこの漫画もこの馬もやっぱり大好きなることが出来て、現在にまで至ってしまった訳です。
「ランドスケープ」万歳!って感じですよね、本気で!
とゆう訳で異様に長い文章になってしまいましたが、
皆さん今後とも、
ランドスケープ君を宜しくお願い致しますm(__)m
それでは皆さん、
長い話に付き合って下さって本当にありがとうございましたm(__)m
それではまた、次の日記にて!!