議論好きのアスピーお兄ちゃん(発達障害の長男)といると、どんな雑談も「朝まで生テレビ」のようになってしまいます。

 話に絡んできた母が原因で、ただの雑談が討論と化してしまうというのが、お兄ちゃんの感じ方らしいのですが、母としてもそのままお兄ちゃんにお返ししたい気持ちです。

 それはともかく、私たち2人はよく意見が対立する…というか「それは違う」を連発されます。
 母:「Aってことじゃない?」
 お兄ちゃん:「それは違う」
 母:「Bってこと?」
 お兄ちゃん:「それも違う」
という具合に。

 意見が違うというのは、異文化からやってきた留学生との会話でもよくあることで、どの国の留学生であっても、たいがい躊躇なく自分の意見をはっきり述べます。

 ただし、毎回毎回「でも先生」「でも先生」という意見の述べ方は適切とは言えないので、「すみませんが」とか「そうですね。でも」とか言うように促してはいるのですが、すぐに「でも」に戻ってしまいます。

 多くの留学生にとって、「おくれてすみません」より「おそくなってすみません」のほうが断然言いやすいそうで、「でも」も、その類いに入るのかもしれません。

 いずれにせよ、「でも先生」と反論をする留学生たちには、確固たる自分の意見があるわけで、自分の意見がどう思われるかなどということより、自分の考えを相手に伝えること自体に重きを置いているのだと思います。

 一方、お兄ちゃんが「それは違う」という場合、「それは違う」以上の意味は全く含んでいません。故に、会話はそこで完結なのです。ところが、母である私は「じゃあ、何なの?」というNGワードを出してしまうために、会話は無限ループに突入します。

 母:「Aってことじゃない?」
 お兄ちゃん:「それは違う」
 母:「Bってこと?」
 お兄ちゃん:「それも違う」
 母:「じゃあ、何なの?」
 お兄ちゃん:「…
 母:「Aってことじゃない?」
 お兄ちゃん:「それは違う」
 母:「Bってこと?」
 お兄ちゃん:「それも違う」
 母:「じゃあ、何なの?」
 お兄ちゃん:「この話いつ終わるの?」
 母:「えーーーーーー」

 真っ向勝負で意見を述べようとする留学生と、ひたすら消去法に徹し自分の意見は持たないお兄ちゃんは両極で、私の周りには中道の人がいない感じです。
濃い毎日だなぁ!と思っています。