先日、映画『ミッシング』を観てきました。
まだ公開中の映画ですが、内容にバッチリ触れた感想を書きます。
観ようかな~☺️と迷っている方は読まないほうがいいです。ものすごく嫌な感じに書くので、気分が悪くなると思います。
映画をご覧になった方々のレビューは一切見ていないため、偏った感想かもしれません。
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この映画『ミッシング』を観に行ったのは、𠮷田恵輔監督がなぜこの作品を作ったのか、それを知りたかったからです。
映画のあらすじはこんな感じです↓
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幼い1人娘が、近所の公園から帰宅する途中に行方不明になった。
母親はその日、娘を自分の弟に預けてバンドのライブに行っていたことで、ネット上で激しい非難を受ける。
弟は供述に曖昧な点があることから、母親同様にネット上で個人情報を書き込まれ、犯人扱いされ職を失い、生活を脅かされる。
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本作は、ある事故を思い出させます。
皆さんおわかりでしょうか。
数年前、お子さんが行楽地で突然姿を消し、そのご家族が疑われた苦しい出来事がありましたよね。
そして、ご家族に面識がないであろう人間たちが、ウキウキとした邪悪さでネットに書き込みをし、ご家族を延々と苦しめました。SNSを割り出し、プライベートを書き立てて批判し、執拗に攻撃しつづけました。
メディアもこぞって連日報道しました。
我々も心配しつつも、そこはかとなく興味を抱きながら、そのニュースを雑に…消費しましたよね。
この事故は〈子供の行方不明事件〉という本質ではなく、
ネットの悪意ある書き込みが人を追い詰める恐ろしさという点によって、世間の注目を集めました。
ここまでは既に、十分語り尽くされています。
いまや小学生ですら「軽い気持ちでネットに書き込みをして人を傷つけてはいけない」と理解しているでしょう。
そこをあえて映画にする意義は一体何か。
石原さとみさんという人気女優を迎え、一定の解が出ている社会問題を取り上げ、莫大な制作費をかけてわざわざ映画を作るからには、
そこには何か新たな付加価値としての【監督の信念】があるはずです。
私がわかっていない、気づけていない、この出来事に対する鋭い考察を教えてほしい。
監督からの厳しいメッセージに傷つきたい。
そのように思ったからこそ観に行ったのです。
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主人公は、行方不明になった娘を捜し続ける母親・沙織里(=石原さとみ)です。
この映画に娘は一切出てきません。回想シーンすらありません。すごい意気込みですよね。
だって、娘と母親の親子愛のシーンが1つでもあれば、観客は簡単に感情移入して泣けるのに、それを拒否しているのですから。
つまりこれは〈娘を捜す悲しみの母親〉の映画ではないのですね。
娘の代わりに出てくる主要人物が、地元テレビ局社員の砂田(=中村倫也)です。
砂田は〈報道は弱者に寄り添うべき〉との持論と、視聴率のためにゲスな番組作りを要求する会社の間で葛藤します。まぁありがちな設定です。
また、設定がマスメディアだとお約束の〈この事件をワイドショーが流すのは、視聴者である私達が喜んで見るからであり、我々も同罪である〉という自己批判的考察。これもすでに聞き飽きています。
…しかし、特に斬新な展開や人物もなく、これらを軸に話は進んでいきます。
え? まさかこんな感じなの😳?
もっとほら…何か、あるんじゃないの?
そう期待しながら、映画館で1人じっと耐えます。
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ストーリーの筋は単純です。
3ヶ月前に行方不明となった娘を必死に捜し続ける沙織里と、その周辺が描かれています。
テレビなどの報道もすでに下火であり、
街頭で自費制作のビラを渡してもあまり受け取ってもらえず、
同じ気持ちを持っているはずの夫(=青木崇高)も、真偽を確かめずあらゆる情報に振り回されてしまう沙織里に、少し困惑気味なのです。
沙織里は砂田に、視聴者から情報が寄せられるのであれば何でも協力すると申し出ます。
嫌がる弟に取材に応じるよう家まで押しかけて、拒否する弟を下品な言葉で口汚く罵り、鍵のかかったドアを叩き&蹴り続け、ドアノブを壊れそうなほど回します。ほとんどサラ金の取り立てです。
必死だから…というレベルではなく、人としてどうかと思う行動です。もう少し理性的になれないものでしょうか。
パート先に入ってきた新人さんから仕事の質問を受けたときは、「そんなの見りゃわかるでしょ😒」と熱のない不親切な返答をします。
大した手間でもないのだから、ちゃんと答えてあげればいいのに。そんな態度をとる人間を相手はどう思うか…などと考えないのでしょうか。
自宅では、ネット掲示板の書き込みに過剰に反応し、毎日イライラしています。
そして、情報提供を求めるあまり、自身の携帯電話番号を掲示板に載せるという浅はかなことをしてしまいます。怪しげな情報提供でもすぐに飛びつき、結果として騙されたりしています。
そんな明らかにきな臭いガセネタ提供者にまで、ヒステリックな妻につき合わされて仕事を休み、ともに会いにいかなければならない夫に同情したくなります。
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会社から、この事件をもっと視聴者ウケするよう作れと指示された砂田は、それは被害者家族を傷つけてしまうからと拒否し、代わりに沙織里たちの気持ちを、番組を視る人たちにもっと伝えたいと考えます。
そんな砂田から提案されたロングインタビューの撮影。
娘との思い出を聞かれた沙織里は、「何でもないようなことが幸せだったと思うんです…」と語り、カメラマンに「それ、虎舞竜…ですよね」と失笑されてしまいます。
彼女は無意識にこの言葉を口にしています。
沙織里は、自分の言葉で気持ちを語れるほど、豊かな語彙を持っていない人なのです。
だから、インタビューという大チャンスなのに、よく考えもせず、歌詞を丸ごと、あたかも自分で考えたかのように無防備に使ってしまう。
そんな人なのです。
言葉に鈍感で、周囲の気持ちを汲めなくて、近視眼的にしか行動できない沙織里に、本当にもどかしくなってしまいます。
もっと賢く立ち回ればいいのに…。
つまり、沙織里は
【どうしようもなく愚か】なのです。
それがずっと続きます。
だってきっと、そこがこの映画のポイントだから。
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そんな何も進展がないもどかしい日々の中、〈娘さんが見つかった、いま警察で保護しています〉という連絡が、携帯電話にかかってきます。
まともに口をきけないほど興奮して警察署に向かう沙織里と夫。非常にドキドキするシーンです。
そして警察署につき、いざ面会しようとすると…
【ネットの掲示板に書いた電話番号を見てかけてきた、いたずら電話だった】
ことがわかります。
あんまりです…。
それを理解した瞬間。
沙織里は、目を見開き野太い声を出しながら、立ったまま失禁してしまいます。
(※私は、沙織里は気がふれたのかと思いました。石原さとみさんの演技に驚きました)
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気を失って美しく崩れ落ちたり、キャーーー😫などと甲高い悲鳴を上げたりするのは、それこそ映画やドラマの中だけの世界なのでしょう。
現実の苦しみは、誰かに見せるような〈儚く美しい悲しみ〉などではないんですよね。
大勢の前で失禁するほどなんですよ。
自分をきちんと見せる余裕なんてないんですよ。
周りに暴言を吐いたり、理性的な判断ができなくなったりするほどなんですよ。
職場の人間関係をスムーズにするための優しさなんて、もうそんなのどうでもいいんでしょう。
それなのに私たちは、苦しみや悲しみをこらえている人たちに対し〈美しく、賢く、毅然とした態度の完璧な被害者像〉を求めすぎています。
いつも悲しんでいろ、
自分の楽しみはすべて捨てて犠牲的にしろ、
感動的ないいコメントを言え、
贅沢はするな、周りに感謝しろ。
そんなことを四六時中できる人なんていないのに。
そんなことを、自分たちの力になってくれないような人に対して見せる必要なんてないのに。
積極的にネット上で攻撃しなくても、結局みんなで、こういう批評家じみた変な空気を作っているんですよね。
何も手助けしないくせに、偉そうにね。
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ラストのほうで、いつものようにビラ配りをする2人のもとに、1人の女性が女の子の手を引いて近づいてきます。
「何かお手伝いしたいです。お力になりたいです」
彼らは、少し前にニュースになった、行方がわからなくなり、その後無事保護された子供とその母親でした。
自分の娘の事件と関連があるかもしれないと沙織里が自発的にビラ配りをして情報を集めてくれたことを知り、感謝してやってきたのです。
同じ苦しみを知っている人が、心からの援助を申し出てきたことに、夫は涙をこらえきれません。
それほど世間は…私たちは冷たく、無関心なのですね。
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お読み下さりありがとうございます。
このブログに読書や映画レビューを期待して読みにきて下さる方はほとんどおられません🤨(キリッ✨)
〈ふざけたスピッツばかりお前は書いていればよいのだ…😑〉
〈スピッツライブの当落だけを読みたいのに。早く抽選に応募しろ。そしてサクサク書けッ😒!〉
そんな声は聞こえないフリをして、この記事を書いています。
映画は年に10本も観ません。しかもそのうち2本は子供の付き合いで観に行くコナン君です。
今回は、久しぶりに観た映画だったので、正直どうしようかと思いましたが感想を記事にしてみました。
やはり暗いですねー。
なんでですかねぇ🤔?
次はスピッツ記事のつもりです。
ああそうだ、Rising Sunは申し込んでません。
スキマフェスはちゃんと頑張ります💪
ありがとうスピ友さん😆!(読んでないかな?)
それでは皆さん、ご機嫌よう。
グッバイちゃおちゃおー♥