皆さんこんにちは。
先週は、先日の金曜ロードショー『すずめの戸締まり』の録画をちびちび分割しながら観ておりましたが、ようやくフィニッシュ🐟!
金ローでゆっくり観ると、映画館上映時🎥の興奮とはまた違うよさがありますねー。
ちょっと感想を書きたくなりました😊
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本作の主人公は、岩戸鈴芽(すずめ)という女子高生です。彼女は幼いときに東日本大震災で母親を失っています。母子家庭であったため、その後は母親の妹である叔母の環(たまき)に引き取られ、九州で2人暮らしをしています。
ある夏の日の朝、通学中のすずめは見知らぬ若い男性から「この辺りに廃墟はある?」と道を聞かれます。この若者(=宗像草太)は〈閉じ師〉と言われる家業を生業としており、日本各地に点在する異世界とつながる〈扉〉を閉じるための活動をしています。
〈扉〉とは、人々が土地を去り、そこに土着していた想いが薄れ、見捨てられてしまった場所に存在するとされています。この〈扉〉が開いてしまうと、異世界の負のエネルギーが、あたかも巨大な〈ミミズ〉のような形となってこちらの世界に流れだし、大地震などを引き起こします。それを食い止める楔(くさび)の役割を果たしているのが〈要石〉と呼ばれる猫の石像なのです。
様々な偶然が重なり、すずめは草太とともに日本各地の〈扉〉を閉じる旅に出ることになります。
その過程ですずめが、関わる人々の優しさに助けられる一方で自身の無力さにより途方に暮れたり、大切な人と仲違いしつつも成長したりという、青春映画としての一面もあります。
風景描写が大変リアルかつ美しいため、水のきらめき✨や光が降り注ぐ星空の荘厳さには目を瞠りますし、皆さんがご存知の場所など出てくると「あ!ここ知ってる!」と嬉しくなるはずです。
私などは、かなり以前に買い物をしたお店が描かれていたため、当時を思い懐かしくなりました🥰
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さて皆さん。
この素晴らしい映画において、新海誠監督が描き、伝えたかったのは当然ラストのメッセージです。
主人公のすずめが、ある場所で、幼い頃の自分自身に出会います。
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すずめ(幼児)「す…すずめのおかあさん、しりませんか? おかあさんもすずめをさがしてて…きっとすごくしんぱいしてるから💦すずめのおかあさんは、びょういんでおしごとしてて、お料理とこうさくが上手で…おうちがなくなっちゃったから…おかあさん、わからなくなっちゃってるだけで🥺…うんと…えっと…」
すずめ(主人公)「すずめ、もう(無理しないで)いいの😢!」
すずめ(幼児)「なんで! おかあさんいるよッ! すずめをさがしてるんだってば😫!!」
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小さなすずめは母親が震災で亡くなったことを認めたくないのですね。
観客全員が間違いなく、幼いすずめちゃんをぎゅーーとしたくなります。したくない方はもうこの映画を観ないほうがいいです。
それぐらい胸に迫るシーンです。
その小さなすずめちゃんに対し、主人公のすずめは返答しなければなりません。
ふわふわした☁綺麗ごとで励ましても意味がない。
だけど、現実をただ伝えるのは厳しすぎる。
明日からのこの子を支えられるような、地に足のついた勇気ある言葉が求められます。
難しいですね💦
陳腐な台詞だったら、ここまでの映画のよさが台無しです。全死亡です。
観客「監督は、すずめに何を語らせるんだ?(ゴクリ…🤨)」
期待値と緊張が非常に高まる中で、すずめの、あの台詞。
すずめ「ーーー✨」
クライマックスなのに、
明らかにこの映画の見せ場なのに、
カッコつけた〈どうだ!〉的な言葉ではありません。
幼いすずめちゃんでも理解できるような、真っすぐで、誤魔化しのない、主人公すずめの周囲の人間に対する優しさと感謝の気持ちが伝わってきます。
華やかさの代わりに誠実さがあり、強く、そして間違いなく希望が見える、本当に素晴らしい台詞です。
新海監督はこのシーンが作りたくて映画を制作なさったのでしょうね。きっとそうです🥲
何度観ても、温かい涙が溢れてしまう素敵な場面です😌✨
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しかし、これほど褒めちぎっておいてアレですが、私が本作で大好きなシーンがこことは別にあります。
作品の中盤にある、東京で巨大ミミズを封じ込めにいく場面です。
本作序盤から、すずめはかなりイライラする女子高生です。成り行きが多すぎるのです。
すれ違いざまに道を聞かれただけの若者を、学校を遅刻してまで追いかけるかな?
水浸しの廃墟に、学校のローファー履いたまま足首まで入るの? 靴が濡れちゃって乾かないよ?
意味不明の不気味なドアをためらいなく開き、アホのようになんの気もなしに、石像(=要石)を引き抜くの?
知り合ってまだ数時間しか経っていない若者&言葉を話す得体の知れない猫を追いかけて、
遠くまで行ってしまいそうな客船に…普通、乗りますかねぇ🤔?
もちろんこうしないとストーリーが進みません。
〈ひょんなことから〉〈現実のリアルに非現実が混ざりこむ〉場合の物語ではよくある展開ですから、そこは承知しています。
すずめの勢いにちょっと戸惑いますが、映画自体はコミカルなハプニングがテンポよく起こり、観ていて楽しいです😊
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旅を続けるすずめと草太君。
2人は東京で、ついに〈扉〉から出てきてしまい、上空に舞い上がる巨大ミミズと遭遇します。これが地面に落下すると大地震が起きます。どうにかして防がなくてはなりません。
ミミズは空全面に拡がり、禍々しい触手のような無数の光を地上に伸ばしています。
今この瞬間にも地面に落ちてきそうな絶望的な絵面に恐怖を覚えます。
そして頼りの草太君は要石に変えられてしまい、「ああ…これで終わりか…」と言い残して意識を失ってしまいます! どうしよう!
そんなことなど何も知らない(※普通の人たちにミミズは見えません)大勢の人々を救わなくてはなりません!
すずめは一体、どうするのか?!
【要石に変えられた草太君を、ミミズに挿すのです!】
だってそれしか方法がありませんからね!
しかしこれは、異世界に未来永劫、彼をたった1人で閉じ込めることを意味しています。
すずめが覚悟を決めた瞬間、要石(=草太君)の先端が鋭く尖った形状に変化します。シャキーン✨!
そして半狂乱のすずめが、草太君1人の犠牲の代わりに大勢の生命を救う決断をするのです。
【ミミズに草太君をグサーーッ!!】
これはね! すごくいい! しびれます!!
この【すずめが決断した】ということを観客に印象付けるため、この直後のシーンで彼の祖父と、
「誰がミミズに孫(=草太)を挿したぁぁッ!!」
「わ…私ですッ😖!!」←敢えて本人に言わせる
というやり取りがあります。
それぐらい重要なことなのだと私は思いたいです。
ここを境として、すずめは〈状況に巻き込まれ・流される人〉ではなく〈意思を持って行動する人物〉へと変わります。
彼女は、自らの行動の責任を引き受けたのです。
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物語におけるヒロインは総じて、助けたかったけど力及ばずとか、駆け付けたが間に合わず泣く…といった展開が多いです。
ううー。私は救いたかったのよー。でも無理だったのよー。間に合わなくて本当にごめんねー。私は自分を許せないわー。でも私ってば心から酷いやつではないのよー的な。
一体誰に対する、何の涙なのでしょうかね。間に合わず救えなかった相手?
それとも…?
すずめは、自らの手を汚します。
しっかり意識した上で、〈受け身ではなく能動的に〉罪をかぶる決断をするヒロインなのです!
まさかこんな骨太なシーンがあるなんてね!
最高です😆!!
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何かのために、他の誰かにとっては残酷な行為をしなければならないときがあります。
そこで〈ルールだから〉〈仕方なかったんだ〉〈私の本心ではないのだ〉などと環境や状況のせいにするのではなく、
〈自分のこの罪深い行為は、きっと誰かを苦しめるだろう。しかし私はこれをやる必要がある〉
と、自らの意志および責任として行うのだと、腹をくくれるかどうか。
この考え方は非常に大事です。
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さて。
映画とは関係ありませんが、最近読んでいた遠藤周作の小説があります。彼はその著書において、
〈愛とは、数や量で計ってはいけない〉と登場人物の牧師に言わせています。
たとえそれが100匹の羊を救うための1匹の羊の犠牲であっても、決して許されないそうです。
その1匹がどうしようもない下劣な存在で、100匹に害をなすようなものであったとしてさえも、
神は、穏和な100匹の羊を置き去りにして、彼らと同等に1匹の羊を救うために尽力なさるとのことです。
敬虔なクリスチャンである遠藤にとってはそうなのかもしれませんね。
それでは、草太君を救うためミミズに挿すことなく、代わりに東京でほのぼの日常を過ごしている何十万の人々を、大地震に遭わせよというのでしょうか?
神の思し召しとしては、そういうことなのでしょうか。
1匹の羊を殺したときは、その血まみれの手を洗うことなく、血に混じった鉄のにおいを感じながら生きていくこと。
助けられた100匹であれば、遠くから冷ややかに眺めるのではなく、近寄ってその血を拭ってあげること。
もし助けられた1匹となったときは、ともに罪悪感を背負ってあげること。
そんな立場や感情があることを理解しておきたいです。
いつか自分もその1匹になるかもしれない。
それどころか、その1匹を殺すか100匹を見捨てるかの決断を迫られる、すずめのような人になるかもしれない。
その可能性をわかっておきたいです。
(絶対ご勘弁🙏ではありますが)
そんなことを思った映画でした。
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お読み下さりありがとうございます。
ドン引きですよね。知ってるよー。
でもね、すずめにあの行動を取らせなくてもストーリーは進められるのに、敢えて〈覚悟の気迫を持つ主人公〉とさせた本作。
そこに新海誠監督の意思を感じたいですよね。
私はアンチヒーロー的な主人公が好きなので、大満足です♥
本作のテーマは震災で大切な人を失った方への希望の提示であり、
モチーフとしては日本古来の神話や伝承を下敷きとしており、
そこにメインキャラクターとして〈自分の弱さとガチで向き合わされるヒロイン〉を据え、観客にこっそり監督の考えを伝えてくる。
非常に面白い映画でした。まだ観ておられない方はぜひDVDでどうぞ😉!