今回のテーマはインテリジェンス論です。Qanonなどに関する言論は様々ありますが、日本では特に、情報戦略に関する議論があまり行われていない点を個人的には考慮しています。

 

アメリカで議論されていることを翻訳して拡散する点は、以前よりも格段に進展しているように見受けられますが、同時に、様々な眉唾物の議論が、あちらこちらから発生している点については憂慮すべきでしょう。

 

戦後の暗記を中心とした学習方法の結果、知識の蓄積に特化しましたが、情報を精査するという作業がほとんど行われなくなりました。日本が現在危うくなっているの原因の一つと言ってもよいでしょう。

 

私たちが課題を自ら創出し、自ら情報を精査し、自ら新しい道筋を立てるといった戦略的ビジョンが日本のこれからの課題のような気がします。

 

おそらくそのためには、現在の常識から進んで離れる必要があるかもしれませんし、様々な知識体系を縦断する作業も必要でしょう。

 

今回はそういったインテリジェンス論を議論するための基礎的な点について触れていきたいと思います。基礎的なとしていますが、あまり馴染みのない議論のため敬遠される可能性が高いことは承知しています。

 

それでは見ていきましょう。

 

 

 

仮説としての世界

私たちは、様々な考えや世界観の中で生きています。これらの考えは正しいようにも見えますし、間違っているようにも見えます。私たちは時に完全に正しいと思えるようなことにも出会いますし、逆に完全に間違っていると思えるようなことにも出会います。

しかし、時が過ぎ、人生で様々な経験をし、様々な知識を得た結果、それまで正しいと思っていたことが、間違っていると気が付いたり、逆に間違っていると思っていたことが、正しかったことに気が付いたりします。

アメリカの哲学者、チャールズ・パースは、こういった状況を踏まえて、批判的常識主義という立場を展開しました。

チャールズ・パース

簡単にいいますと、生きているうえで自分たちの常識というものは確かに役立ちますが、こういった常識も間違っている可能性があり、批判される可能性があるということを肝に銘じておこうといったものです。

私たちの常識も、また科学の知識も仮説Hypothesisで構成されています。仮説とは正しいか間違っているかはともかく、何らかの現象や法則を説明するのに役立つ命題のことをいいます。

パースはこの現象や法則を説明するための命題・仮説は推論によって導きだされ、それには3つの種類があると考えました。

 

3つの推論方法

1つ目は三段論法などでよく目にします。

有名な例を挙げますと、「人は必ず死ぬ。」という大前提(法則)と、「ソクラテスは人である。」という小前提(事例)から「ソクラテスは必ず死ぬ。」という結論を導き出す方法です。

これを論理学では演繹法Deductionといいます。演繹法は前提が正しければ、その結論は正しいという推論方法です。

2つ目の推論方法は見てみましょう。

有名な例を挙げますと、「スワン(白鳥)はすべて白い」というブラックスワン問題があります。ある観察者が今まで見てきた個別のAというスワンもBというスワンもCというスワンもすべてが白かったとします。

このためすべてのスワンは白いと結論が生まれ、黒いスワンは存在しないという法則を導き出します。

この推論方法が帰納法Inductionです。これは論理的に常に正しいとは言えない推論です。そしてこの推論は間違っていると言われ、その後、黒いスワンが世界で発見されたという事実があります。

帰納法は正しい結論を導きさせるかもしれませんし、間違っている結論を導き出すかもしれません。帰納法はすべての事例が正しかったとしても、結論としての法則が正しいとは限らない推論方法として有名です。

3つ目の推論方法はアリストテレスがすでに提示していたとされていますが、哲学者のパースはこれに相応しい訳語としてアブダクションAbductionという名前を与えました。

例えば、ある男性が夜道で電信柱の陰に隠れていたとします。このような行為はテレビなどでストーカーとして扱われているので、この男性はストーカーだと結論づけます。これがアブダクションです。

電信柱の陰に隠れている男性が間違いでなくても、こういった人にストーカーがいることが事実でも、この男性がストーカーだとは限りません。彼は私服警官かもしれませんし、ただの酔っ払いかもしれません。

私たちはこのような推論を日々繰り返すことによって世界観を構築しているといえるかもしれません。

 

 

 

世界観の形成プロセス

私たちは3つの推論方法を繰り返し行うことによって世界観を構築しているとしました。

情報を目や耳でキャッチしたり、または記憶から呼び起こしたりしながら、結論を導き出し行動をするというフィードバックを繰り返しながら人々は生きています。



機械工学的な観点から言いますと、人という情報制御装置がこのフィードバックを行い、自動学習しながら、生活をしているともいえるかもしれません。少し人間味がない表現かもしれませんが、知能の構造は一面的にこういった側面を持っています。

私は前回に、地球の歴史や生命の歴史について軽く触れましたが、私は人を情報制御装置と形容しましたが、実際に人は人がデザインした装置などではないですし、インテリジェント・デザイン説に見られるような人以外の誰かがデザインした存在でもありません。

人は、長い地球の歴史や生命の歴史を通じて進化し、その過程で様々な認知プロセス社会プロセス生存プロセスを形成・獲得してきたと言えるかもしれません。

私たちが喜んだり、悲しんだり、好んだり、嫌ったり、驚いたり、期待したり、怒ったり、恐怖したり、といった感情もまた、生物の進化の過程で形成・獲得してきたものとも言えます。

このような感情による評価と、様々な理性による評価によって、私たちは私たちが直面する出来事の可否を決定します。時に自分の好みで物事を決めたり、また相手の感情を考慮したうえで決めたり、また誰の感情も考慮に入れずに、それが論理的だと結論づけたりと、私たちの評価判定は様々です。

 



機械には存在しない、感情による評価は人間に限らず多くの動物にも見られる反応といえるかもしれません。私たちにとって、他の動物が単に条件反射で反応しているように見えるかもしれませんが、構造上は人間の感情に近い心理的プロセスのようなものもあると思われます。

おそらく人間に近い動物であればあるほどに、人間もまたその動物に何らかの共感の感覚を覚えることでしょう。

私は3つの推論方法を通じて世界観を構築するパースの理論を紹介しましたが、人間の推論にとっておそらく論理的な推論よりも、感情による反応の方が、大きな意味を持っている可能性はあるでしょう。

そしてこの感情が時に悪用される場合もあります。

権威主義との闘い

私たちが生きている世界には様々な権威が存在します。その中でも自分たちが提示する正しい考え方や世界観などを人々に広め、それを普及させようとする人たちがいます。

彼らは自分の考えや世界観が間違っている可能性を絶対に認めません。自分たちの考えや世界観が間違っている可能性のことを可謬性Falliblenessといいます。自分たちが間違っている可能性を一切認めず、私たちの方が間違いばかりを主張してきます。方法はいつだって同じです。

彼らの第一のタイプは、確証バイアスに陥っており、自らを反証することがありません。一方で私たちの方に対しては反証可能性を提示してきます。これは完全な無自覚な自己欺瞞です。

彼らの第二タイプは、印象操作を行うために反証しないのです。自分たちが偽りの主張をしていることを知っているから、反証可能性を自らに提示しないのです。したがって彼らは私たちの方のみに反証可能性を提示します。これは完全に自覚的な詐欺師やペテン師の手口です。

 



この二つは全く異なりますが、やっていることは全く同じです。自分にも相手にも嘘をついているか、相手にのみ嘘をついているかの違いがあるだけです。

自分たちの考えや世界観に彼らは誰にも攻め込まれないように城壁・城塞を作り、完璧なまでの権威主義を構築します。相手の批判は必ず受け流します。彼らが相手の意見に耳を傾けることはありません。

しかし、彼らは逆に私たちの世界観を壊れやすいものだということを確信しています。実際にこれは正しいわけですが、そこを狙って私たちの壊れやすい考えや世界観を狙い撃ちにするわけです。そうして彼らは自分たちの無傷の城塞に仲間を引き入れ、彼らの世界観の奴隷にします。

私たちはそういったものと闘わなければならないのです。そういったものが私たちの世界を食い物にしています。私は完全無欠な世界観を決して持っていません。人様に自分の価値観を押し付けるだけの理由を持っていないのです。しかしそれでも自己陶酔したペテン師と、人様を騙して利益を貪る詐欺師の手口くらいは、ある程度理解しているつもりです。

人間である以上、そういった行為を多少なりとも利用することに、私はことさら立腹することもありませんが、物には実際に限度があります。私の主観的判断にとどまりますが、そういった限度を超えた行為に対しては、攻撃を仕掛けない理由がありません。

 

ただし、彼らという表現を使っていますが、私たち自身も無自覚的な欺瞞に陥ったり、意識的な嘘をついたりするというのも事実です。そういった自分自身の中の問題と向き合うことも重要なことだと思います。

 

なかなか難しい問題ではあると思います。

インテリジェンスの構築

私たちは私たちが持っている世界観ゆえに、時に他者を攻撃したり、攻撃されたりします。その世界観は時に間違っていたり、過剰な感情の反応だったりもしますが、時に正しい場合もありますし、適正な感情の反応の場合もあるかもしれません。実際に非常に評価の難しい問題です。

現在、世界中で様々な情報が飛び交い、さながら狸の化かし合いのような情報戦が行われている側面があると思います。私たちが信じている常識や価値観も、実際には私たちを騙して利益を得ようとした結果、私たちの常識や価値観の一部になっているものもあるかもしれません。私たちにとっての不利益の原因のすべてとは言わないにしても、間違いなく一部はそういったものが原因であるはずです。

戦後長い間、世界は一つを合言葉に、多くの日本人が世界には自分たちには想像もできないような悪事を企んでいる人間がいるということをほとんど想像せずに、経済発展・停滞・衰退の道を歩んできました。戦後の常識や価値観を今まで通り守り続けていたならば、おそらくこの国は着ぐるみもすべて剝ぎ取られて、世界に散り散りになって、ただただ目先の金に踊らされたディアスポラパーリヤ(不可触民)のように彷徨うことになるかもしれません。

私たちはそういった未来を歩まないことを望むのであれば、早期に私たち自身のインテリジェンス戦略を構築しなければならないでしょう。世界は特定の人たちが牛耳っているわけで、したがって彼らの世界観を模倣すれば必然的に、行き着く先の運命は彼らと同じような未来です。

いつ来るかもわからない救いなるものを求め、迫害と差別の中、サタンへの忠誠か、ヤハウェ信仰の二者択一の中で、古き日本の風景を頭の片隅にだけとどめて、マネーゲームを繰り広げるという未来も、場合によっては遠くない未来では当たり前の世界になっているかもしれません。

こういったことを避ける方法をもし求めるのであれば、私たちは今ある常識を疑いぬき、私たちが戦後聞かなくなった声に耳を傾ける必要があるものと推測します。

あくまでも個人的な推測ですので悪しからず。

最後に

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。

 

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ

 

お手数ですが、もしよろしければバナーのクリックお願いいたします。