日本人が直接戦場の真ん中で戦っていた時代が終わってから75年が経過しようとしていますが、当時と比べて世の中は大きく変わりました。
当時と比較して変わったものは多くありますが、学校の教科書の装いもまた大きく変わっていき、令和という時代にあっては、この時代に適合した装丁になっています。昭和の時代の教科書はたしかに昭和っぽい装丁でした。
終戦後には教科書には黒塗りの教科書が使われていましたが、当時と比較しても確かに変わったということは言えると思います。しかしながら一方で変わっていない部分もあると思います。はっきりと言いますが、私たちは装丁や実際のテキストの内容は確かに時代とともに変わってきていますが、私たちは今なお黒塗りの教科書を使っていると本当に言えないのでしょうか。
戦前の教科書に多くの部分が黒く塗られた教科書にはGHQの意向が関わっていました。言い換えますと、黒塗りの教科書とは、戦前から続く教科書から多くの部分が削除され、それに加えてのちに新しい思想が書き加えられたもの、というのが教科書の本質なのではないでしょうか。
言い換えますと、私たちが使用していた教科書、また若い日本の子供たちが使用している教科書には、いまだに黒塗りの痕跡が残っているということです。一つの例を挙げてみましょう。
私たちは歴史の教科書で3B政策と3C政策というものを学校で習っています。これは当時のドイツとイギリスの世界戦略を指すものです。この3B政策3C政策と呼ばれるものが議論されているのは旧大日本帝国の日本と韓国です。海外で議論されているとは思いません。日本人がドイツとイギリスの世界戦略を前にして戦前から論じてきたものです。
三つの都市の頭文字を取った3B政策と3C政策といったものを前にしてたまたまBとCが頭文字だったと感じると思いますし、BとCが続いているのであれば3A政策というものもあれば、洒落が効いてて面白いし、この二つだけだと、どこか中途半端な感じがします。無理に3A政策など持ち出すだけの政策なんて空想できるものではないというのが普通の推論かもしれません。
しかしながら、3A政策という概念は戦前にはありました。世界戦略は、ドイツの3B政策が挫折したのちには、3C政策と3A政策こそがアジア諸国にとって大きな意味を持っていたというのが、当時の大日本帝国の見解でした。3A政策というものが実際にはあり、議論されていたのですが、戦後においてこの概念は都合が悪いがゆえに検閲されたわけです。
3A政策というのはアメリカ合衆国の世界戦略の一つであり、アメリカとアジアをアラスカ経由の鉄道で結ぼうというものです。当時満州鉄道についてハリマンが関心を抱いており、アメリカが東アジアに手を伸ばしてくることを恐れた日本政府がこれを封じ込めていったわけです。日本にとっては3B政策よりも3A政策の方が重大な意味を持っていました。
のちに航空網の発達によって、戦後において3A政策が実現することはありませんでしたが、もし人類がもう少し空を飛ぶことになる時代が遅かったのであれば、アメリカから中国東北部にかけての鉄道網の計画が進展していた可能性はあったかもしれません。今でこそ3A政策は過去の遺物もしくは過去の戦略として捉えられるものかもしれませんが、世界戦略の一つとして日本にとっては3B政策よりも3A政策の方が議論の的となるべき問題だったわけですが、ナチスを生み出したドイツがアメリカの代わりに悪役をキャストとして選ばれたわけです。
私は戦後の日本社会が優れた民主国家だとは思っていませんし、戦後日本人が実際に経済政策について議論しているものを見たことはありません。日本の政策の多くは日本人が考えたものではなく、アメリカを中心とした先進国から学んだものです。アメリカという最先端であるとされている国の政治や経済の体制を真似ることによって、私たちはいつしか浮かび上がることのない失われた20年もしくは30年を生きていかなければならなくなっています。
これについては古い日本の制度が残っているからという言い方で失われた20年もしくは30年を語る人たちがいますが、アメリカから学べば学ぶほどに私たちは、自分たちで物事を考えることなく、思考停止状態で、経済学的な数式をもてあそび、国家を衰退へと導いているとは普通は考えません。それは私たちが学校の教科書に強い信頼を置いており、学歴や学識こそが思考のものであるという前提に立っている以上は、私たちは私たち自身を疑えません。江戸末期から敗戦まで世界に稀にみる発展を示した日本ですが、戦後日本が熟成すれば熟成するほどに、戦後の価値観が浸透すれば浸透するほどに、自己を喪失していっているというのは皮肉な話です。戦前の価値観の一切を冷淡な笑みを浮かべて軽蔑しているのが現代日本人です。
日本人が日本を賛美する場合、それは戦後日本の価値観を前提としてるという側面を必ず引きずることになります。民主国家である日本と言いながらも、私は日本人が、かつての日本、大日本帝国時代以上に議論を深めているとは思っていません。民主的に物事を決めているとも思っていません。それは私たちがかつて学んできた、そして現代の若い日本の子供たちが学んでいる教科書によって、偽りを植え付けられているからです。
誰かが決めた制度がいつの間にか進行し、ほとんどすべての日本人が望んでいない政策がいつの間にか執り行われている。おそらく日本に限った話ではないのでしょうけれど、過半数以上に大多数の日本人が拒絶している制度や政策が、なぜか当然の道理として展開し、そのことに一ミリの反省も加えられることもなく、延々と同じことをしているという、非民主国家的な日本を民主国家だと見なしている教科書の嘘からも読み解くことができます。
私たちは教科書にあって多くのことが隠されており、社会的な理念を宗教のように信仰することを強制され、圧倒的多数の日本人が日々時間に追われて思考停止状態に陥らされているという全体主義的な国家で生活しているかもしれないという仮説くらいは、多少なりとも想定する必要があるのではないかと私は思っております。
最後までお読みいただきましたありがとうございました。