よく都市伝説という枠などで論じられるロスチャイルドやロックフェラー、フリーメイソンリーやイルミナティ、ユダヤ人などについて議論される陰謀論の情報のソースがどこにあるのかという分類は重要だと思います。
大抵の場合、それらの情報は基本的には誰にでも手に入れられるオープンソースの情報だと思います。人によっては入手の困難さは異なるかもしれませんが、例えばネットでの情報であったり、書籍からの情報であったり、または、政府機関の資料であったり、様々だと思います。
疑っている人々と疑われている人々との応酬
情報源には、例えば陰謀を疑われている側からの情報と、陰謀を疑っている側からの情報に分かれています。この二種類の情報には、実際に正しい情報と正しくない情報とが交錯しています。そして正しいか正しくないかは本来疑われている側は知っており、疑っている側は物証などを元に推理を働かせることになります。
これらの推理がもし正しく、疑われている側が否定している場合、疑われている側は事実を隠していることになります。逆にその推理が間違っており、疑っている側が否定している場合、疑われている側は名誉を棄損されていることになります。したがって、疑われている側は陰謀を企てている、名誉棄損である、あるいは差別主義であるという応酬が両者の中で繰り返されることになります。
大抵の場合、その応酬それ自体が主題になることはあまりないと思いますが、両者の応酬は「陰謀を企てている」、「差別主義者」といったラベリングが繰り返されます。
陰謀論のタイプ
陰謀論の情報のソースには、上記のように、疑っている側と疑われている側からの情報に分類することができると思います。後者でいえば、デイヴィッド・ロックフェラーの自伝や、ジャック・アタリの著作、ブレジンスキーの著作のような個人の著作物から、CSISや三極委員会といった組織が示す情報など様々なものがあります。しかし、バリエーションとしては前者の疑っている側ほどにはバリエーションには富んでいません。
陰謀論は語り手の世界観によって大きくその論調が変わってきますが、疑っている側の世界観の幅は非常にバリエーションに富んでいます。
例えばクリスチャンのようにキリスト教徒としての属性が強い論調の中でも、その宗派などによってもその言論には大きな違いがあります。陰謀が言ってしまえばサタン、つまり悪魔に起因するというものもあります。これも含めれば、たとえば宗教団体のエホバの証人なども陰謀論と部分的に重なってくるところがあります。キリスト教に起因する陰謀論の特徴はGodあるいはヤハウェと呼ばれるもの以外の神はすべて悪魔であるという結論に至っているものも多いので、これらの陰謀論は日本の伝統的文化もサタニズムに分類されているわけです。これらの陰謀論は決して少数派として片づけられるものではなく、一連の陰謀論について言及するならば避けては通れないトピックの一つとなります。
他にもいわゆるオカルト系の陰謀論もあります。この陰謀論もバリエーションが多いわけですが、基本的には科学的に認められた事実に対する疑いが前提となっているものが多いので、例えばレプティリアン、爬虫類人間という宇宙人の概念なども登場してきます。これが一種の隠語のようなものなのか、事実としてとらえているのかまでは解りませんが、オカルト系の陰謀論は、非科学的な情報を積極的に自らの常識に取り込んでいく傾向があると思います。
他にみられるのが、基本的には歴史の中から言及していくタイプです。これは前者二つとは異なり宗教や超常現象などは基本的には前提としない場合が多いですが、必ずしもこれらを全否定しているわけでもないタイプとも取れると思います。歴史的資料を重視し、宗教的価値観や超常現象・非科学的な理論は比較的排除されて議論されます。
次にアメリカのQanonなどについて言及していくタイプというものがあります。基本的には宗教や超常現象・非科学、更に歴史についてあまり関心が深くなく、ネット情報などを中心に人々が陰謀論の議論を深めていくなかで情報を精査していくというものです。
今後これらの呼び方は変えていくかもしれませんが、大きく分けると、宗教団体などにみられる宗教系、オカルト雑誌などにみられる非科学系、学問としての歴史に依拠した歴史系、ネットなどを中心に情報を構築していくソーシャルメディア系といった分類ができるように思います。そしてこれらの四タイプのどのタイプの傾向が強いかによって陰謀論は論調を変えていくことになります。そしてこれらの四タイプに加えて陰謀を企てているとされる側の否定的論調と、この論調を肯定する陰謀論否定派とが意見や推理を戦わせているのが、陰謀論の大まかな全体像のように思えます。
陰謀論は必ずしも一枚岩ではなく、非常にバリエーションが豊富であるというのは重要な問題です。特定の例えば宗教系のキリスト教徒による陰謀論が部分的に間違っていると感じるからといって、これらのバリエーションに富んだすべての陰謀論が全否定されるわけではありません。
実際にいくつかの陰謀論における物証は確かに存在しています。それらの物証から推理されるものが正しいかどうかはともかく、例えばジェフリー・エプシュタインがアメリカ本土から離れた島で如何わしい行為をしていたなどというのは紛れもない事実です。実際にそういった島があり、証拠隠滅かどうかまでは知りませんが、建物が燃やされるということまで起こりました。仮にキリスト教徒による陰謀論に見られるすべてはサタンによるものであるという論調に納得がいかないからといっても、エプシュタイン関連の事実関係は否定できないわけです。
陰謀論否定論というのは単純化されやすいですが、それは陰謀論のバリエーションの一部を切り取って陰謀論の全体としている場合が多い気がします。
より具体的にいうならば、陰謀論には例えば、これらをひとくくりに陰謀論という呼称で呼ぶべきかどうかはわかりませんが、宗教の幸福の科学、ジャーナリストのベンジャミン・フルフォードが提示するものから、元外務省の大使経験者が提示するものまでさまざまなものがあります。さらにアメリカのQanonと呼ばれるものも国外の様々なYoutubeやtwitterといったメジャーなサイトから、日本人にはあまり馴染みのないマイナーなサイトに至るまでで多くの議論が展開されています。
もしこれらの情報のいくつかが事実だったとしても、これらの情報にも当然に誤解や誤った推理が含まれる可能性があります。これは重要な要素です。例えばエプシュタイン関連の問題が、実際に事実として認定されたからといって、陰謀論の全体がすべて肯定されえるわけではありません。一部が間違いだったからといって全体が否定されないように、一部が正しいからといってその全体もまた肯定されるものではありません。私たちは陰謀論を議論するうえで、論理学的な知見を必ず論じる必要があると私は思います。
ここでは陰謀論のバリエーションとそのバリエーションについての個人的な意見を紹介しました。
最後まで目を通していただきましてありがとうございます。