この国では現在、虐待で保護された子供は年間六万件を超え
増加の一途を辿る
虐待死を危機一髪で免れ保護された子供たちは、
それで一件落着なのか?
虐待児の「その後」を追うノンフィクション

虐待死のニュースの多さ、悲惨さの衝撃が大きすぎて
虐待を受け続けたもののすんでのところで保護された子どもたちのことは
ほんとによかった、クソ親と離れてこれからは幸せになれるね
と、簡単に考えてしまいがちである
そんなわけない
そんなわけないよね
生まれて、唯一頼りにするしかない肉親に命を脅かされつづける環境にいて
そんなところを急によく知らない大人に連れて行かれて平穏な生活を用意されたところで
「やっと安全な環境に来られた」
「この大人のことは信用していいんだな」
と、スッと理解できる子供なんているわけない
その子供にしてみたら、脅かされない平穏な環境は「異変」でしかない
このノンフィクションでは、
著者がいくつかのファミリーホームを訪ね、虐待児の「其後」を細やかに伝える
ファミリーホームとは、里親よりも少し規模は大きいが、少人数の住居型児童養育事業である
何人かの「その後の虐待児」が紹介されるが
どの子も基本はずっとハードなままだ
たとえ、暖かい養育者に安全な居場所をもらったとしても
他でもない子ども本人の心の根本が荒涼としたままなのだから
そして、頭では理解していても
産みの親のことを求めている
傷ついた心、信頼を知らない心、
自分を傷つけた親をそれでも想う二律背反の心は
あらゆる代償行為につながり、
子ども自身も、養育者(里親含む)も疲弊し傷つくというケースが多くある
養育者たちは、傷ついた子どもをなんとかしてを救いたいと思うが
その子の穴を埋めるのは他でもない傷つけた実親自身だけだというジレンマ
ほんとうにしんどい。綺麗事じゃない
血縁のある育児だって綺麗事じゃ済まないんだからそれ以上。
だけどひかりはあって、
養育者の献身により、やがて少しずつ子どもたちが「安心」というものを知り
疑いからの破壊行動をする必要もなくなり、
本来の持ち味をのびのびと伸ばしていくケースも紹介されている
「安心」があれば
安全な場所で、清潔にして、空腹じゃなくて眠れていたら。
裕福でもなく自分専用のものがなくみんなと共有でガヤガヤしていても
子どもは順応して伸びていくんだということがわかる
きっと、実の親に求めていたことも
それだけだったはずなのに。
なにも、お金持ちでなんでも与えられる環境じゃなくても
「安心」と「安全」と、それが当たり前に続く恒常性があれば充分だったのに
それだけのことが、あとになってから取り戻すのはすごく難しいのだ
だがその一方で
育児をしていると親として無力感を感じる日もたくさんある
しかしそういうときこそ、
雨風しのいで、笑って、風呂入って食べさせて寝る
まずはそこから毎日を積み重ねようと改めて思った