「何様」
朝井リョウ
コレの続きです

4話目
「きみだけの絶対」
高2の亮博の自宅に、ある日
叔父の劇作家・烏丸ギンジを取材する記者がやってくる
それをきっかけに、亮博は恋人の花奈とギンジの舞台を観に行くが…

烏丸ギンジ。
「何者」では、かつては主人公拓人と同じ劇団にいたが
やがて決別した人物
ここで気になるのは
ギンジの舞台は本当にカラッポなのかどうか?ってこと
「何者」では、拓人はギンジを認められず
ギンジは隆良と同類のカラッポ具合だと断罪するほどであった
隆良ドンマイ…
この作品の亮博も、
ふだんはサッカー部でのレギュラーのことや
カノジョの花奈とエッチすることしか頭にないんだが
叔父のギンジの舞台を観て
この芝居は誰も救わないと感じる
たとえば、カノジョの花奈はどうやら生活苦にあるらしいこと
たとえば、亮博の父親は輸入を通じて物理的に物資を流通する仕事をしていること
そういうことから比べると、
ギンジの舞台で言っていることはあまりに間接的というか
すでに満たされた場所からモノ言って、なにか変わります?
みたく感じてしまう
でも、ほんとにそうなのかな?
震災のとき、芸能人が被災地を慰問したりライブをしたり
そういうのを、「今窮地にいる人にしてみたらなんの助けでもない偽善」
みたいな批判があったことを思い出したんですけど
カタチやモノがなくても
自分の状況とはまったく違う世界の話だったとしても
そこから受け取ったメッセージや思いが
心に残り、自分を支えることはあるのだと思う
万人に響くとは限らない
むしろ、万人に万能な魔法はまずない
だけど、誰かの心の灯りになるとしたら…
花奈は、ギンジの舞台から言葉を拾い上げた
舞台にまったく興味のなかった亮博だけど、それを見て
お互いの持つ「絶対」の違いを尊重したいと感じたのではないだろうか