どうしても変えられない自分の本能の部分が
まわりの大多数の人と明らかに違う
それに苦悩し、隠しながらもがきながら生きる人たち
彼らがささやかな繋がりを見つけた希望の先は…

あまりに有名なんでネタバレしちゃいますけど
「水」に性的嗜好を持つ数人の物語です
もちろん、「普通」の恋愛やセックスなんてできないし
当人たちはそれをとても後ろめたく感じ
まるで自身が穢いモノでもあるかのように感じているのが印象的
衝撃の設定ですね
それ以上に衝撃なのが
ガッキー(新垣結衣)!
ガッキーといえばのキラキラ感をバッサリ封じています
「どうせあんたには私のことは理解できないでしょうし
こっちも興味無いんで放っといてもらえます?」
っていうオーラが全身に漲ってる
ガッキーこれまさかの超ハマり役なのでは…
ガッキーをキャスティングした人スゴイ
そして、物語の中盤で
孤独だった夏月(←ガッキー)がやっと理解者(磯村勇斗が演じる夫)を得るんですが
そこから、ガッキーのキラキラ感がすこーしだけ戻るのも良かった
女優はキラキラ感も調節自在なのですね…
「普通の人」はどんなもんなのかと
セックスの真似事をしてみるシーン(着衣でね)
個人的に好きなシーンです
いわゆる「普通のセックス」を夏月が「変態じゃん」って思うのも良かったし
マイノリティにとってはマジョリティが「変態」ですよね
普通でも普通じゃなくても
誰かを大切に想い合う静かな喜びが伝わってきます
ただちょっとピンと来ないのがねぇ
彼ら、水の動画をオカズに自慰行為したりするんですが
同じ性的嗜好を持つ夏月と夫が公園の噴水ではしゃぎまわる
みたいなシーンもあるんです
あれは性行為って解釈なの??
まああくまでお互い性の対象は「水」なので、二人の肉体的接触が無いのは分かるが
なら勃起くらいしないとおかしくね?
余計なこと言わなくていいよ
性的な気持ちが介在するとは思えないくらい爽やかーなシーンなんですよ
「普通の人」だってガチなエロ中に爽やかさなんてありませんけど?
「普通の人」だってエロいことは隠れてしてるんです
「水」が嗜好だっていいじゃないか!
物語が進むにつれ、そういう気持ちになります
それくらい彼らは孤独だし、苦悩しているんです
もういいじゃないか!どんな多様性も認めようよ!
って思いますよね
そうは問屋が卸さない
物語の終盤で、ラスボス
小児性愛者が乱入ダァ!
こりゃーイカンよ
それを認めるわけにはイカン
映画では当然、夏月たちを巻き込み大事件になるわけですが…
小児性愛といえばTHE偏った性的嗜好ってやつですけど
これも多様性じゃない?違うの?
いや違うよ
被害者がいる以上は。
でも、
事件も起こさず、誰にも言えずにこの嗜好を抱えている人もいるんじゃないでしょうか
そういう人は、受け入れられる?
たとえ被害者がいなくても、性的対象が
「水」ならまだ理解できるが
「小児」ならなんか拒否反応
↑こんな気持ちになるとしたら、理解があるふりして
結局は自分の物差しで判断しているに過ぎないのかもしれない
じゃあ多様性…
多様性を認める…ってなんなんだろ…
結局
迷宮入りしました(;´Д`)
一貫した「王道」側のキャラとして稲垣吾郎がいるんですが
冷たく杓子定規なキャラとして描かれているのがやはり少し引っかる
マジョリティはいつも横柄でデリカシーがないように描かれがち
彼だってそれなりに善人だし、稲垣吾郎の言っていることだって正しいこともあるんです
現にロリコンくそ野郎の存在は確かにいましたし。
マジョリティにしてもマイノリティにしても
結局は自分の視野で見たもの
自分の価値観で判断したものを全てと思いがち
そこをまずよく理解することか大事にも思えました
そしてとりあえず
原作をぜったい読みたい!