「あの子のことは、なにも知らない」
栗沢まり


 

 

中学3年生

受験も終わり、卒業まで二週間


谷岡中には「伝統」の卒業式があり、

伝統を守るため、家族へ感謝を伝えるため


優等生の美咲をはじめ委員達は準備に心血を注ぐ


ただ、不気味な問題児、渡辺の存在

誰も彼を理解できないまま、卒業式の準備が彼のせいで滞ることに困り果てる


本当に正しいことって?

感謝って、なんだろう?





久々に、ジュブナイル小説です


時期的にもそうだし、

中学3年生が主人公だけども、受験自体はすべて終わって

「卒業式までの二週間の物語」というのが新鮮で選びました




思えば、15歳の頃って

自分がすべての基準で、それが常識だったし


それだけに、自分の常識を超えるところにいる人は

たとえ友達だったとしても

「ありえない」で片付けていたかもね



美咲をはじめ委員会の面々は、だんだんとそれに気づき

問題児の渡辺のことを、「迷惑、不気味」という視点からではなく

彼の抱えるところを知り、彼の立場にたつことから始めようとします



それは素晴らしく聡明だと思う



それでも、オバサン(私)はやはり思う

個々の「違い」は埋められないのよ…



物語の中でも、

美咲の母親や、学年主任の前田教諭は

「問題児のことは無視して、伝統の卒業式をするように」と言う



確かにそれは強引で

伝統が守られれば個々の気持ちは無視して良いのかと言いたくなる


美咲たちも反発を覚える。



だけど、美咲たちが渡辺の境遇に配慮したいと考えたのは

渡辺が悪目立ちしていたからで。



目立たないだけで、伝統の卒業式に抵抗がある生徒はもっとたくさんいるかもよ?

その人たち全員に配慮してたら、なにもできなくないですか?

と、オバサンは思ってしまったなぁ…



悲しいけれど、生まれたときから置かれた環境はみんな違う

性格も、能力も



それを知ることは大事だけど、

「みんな一緒」は無理なのだと知ることも大事…



誰か一人を苦しめる「伝統」なんて捨ててもいいと私も思う

だけど、「伝統の卒業式」を捨てても

またすぐに「違い」は明白にされるんだよ…




まあいろいろ苦悩ののち、

美咲たちは卒業式をそれぞれの想いで迎え


最終的に美咲たちは

「これからも渡辺に寄りそう」という決断をします。



とても美しい選択です。



でもごめん、やっぱり私の心は汚れてるので

「そこに、渡辺の意思は…?」

と思ってしまった




「友達」の存在は尊い

だけど、それどころじゃない時もあるのよ。

惑わされて迷惑になることもある



具体的に渡辺を助けられるしかるべき機関に

すべて任せた方がいい時期もあるのよ…



もちろん、美咲たちの渡辺への想いが

「独りよがり」に終わる可能性もちゃんと含みつつ

物語は終わります



やっぱりジュブナイル小説ですので

オバサンが読むには心が汚れすぎていたかな?



でも、

「知って、考え続ける」ということが大切なのは大人も子供も同じですよね



そういう意味では、読んでよかったです


 

 

 

 


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