「カルト村で生まれました。」
高田かや


 

 

両親が入信する宗教の関係で

共同生活の村で生まれた著者


19歳まで過ごした「村」での体験を

子供の目線で鮮やかに率直に描いたコミックエッセイ




作中に出てくる宗教団体のことを、私は詳しくは良く知りません


少なくとも、人類滅亡を企み大事件を起こしたカルト教団に比べると

知らないも同然でした



ただ、「人類滅亡~の教団」と全く違うのは

理想郷を作ることを目標にしてはいても、外部に危害を加える思想は無い

ということに尽きると思います




「村」では、子供は早々と親と離され

子供たちは集められて親でない大人たちと共同生活をします


子供でも与えられた仕事を毎日こなし


私財を貯えることは禁じられ

誰か一人が裕福になるということも無く

誰かの持ち物は村の持ち物として共有します

(え?)



ん?と思う点ももちろんあるのですが

(特に共有うんぬんね)


悪いところばかりでもないような。


実際、エッセイの中では

楽しかった思い出もたくさんつづられます



ただ、やっぱヤバい

いろいろヤバい


筒井康隆の短編

「原始共産制」を思い出したw


 


まず、食事も衣類も充分に行き渡らない

村にはお金が無いわけではないようなのに


「みな平等に我慢する」という精神を強いているようにも見えます




子供たちはとにかくいつもお腹をすかしていて、

エッセイの内容もほとんどが食に纏わる思い出…



そして、子供たちの「教育係」が

理不尽な力で子供たちを制圧したり

教育係ひとりの判断ですべてが決められ、イジメに近いことも…



「理想郷」を作るはずが、どうしてこのようなことが起こるのでしょう


「村」は、子供たちや村民が

「外の世界」に染まることをとにかく恐れ



一般社会の情報を理不尽に遮断し

子供たちの手紙も検閲します(!)



「理想郷」ならばそんなことしなくても人が集まって来るはずなのにね



結局ヒトはどんなに抑圧されても

「おいしいものをお腹いっぱい食べたい、努力の対価をもらって豊かになりたい」

という気持ちを捨てることはできないんだよね




だけども難しいのは

「悪いことばかりでもない」ってとこ



虐待や衰弱で死ぬような子供はいないようだし

理不尽な目に遭いながらも、楽しく毎日を営む様子も描かれる



コレって…「家庭」にも共通するんじゃないか!?

と、ちょっと怖くなりました



子供が小さいときは特に


何を禁止して何を許可するか

子供の食べ物や衣類にどれだけお金をかけるか


そういうものは親の一存ですよね


育児の初期において

親は教祖みたいなところあるよな…



虐待や衰弱はもってのほかだし

なるべく偏ったことしないで育てたいとはもちろん思いますけど



自分の価値観すらグラグラ揺らいでる自覚があるからなぁ

もし、自分の思想が突然ものすごい偏った方向へ行ってしまったら…



ヤバい育児になってしまうのでは!?

という、妙な方向からの恐怖感も感じました



ちなみに、このエッセイには続編もあります