「友がみな我よりえらく見える日は」
上原隆



 さまざまな事情を抱え、

ギリギリのはざまを歩きながら

今この場所に生きている人たち


決して安泰な道を歩んではいない人たちの隣で

さりげなくその人を描く異色のルポ



第一話

「友よ」



大学時代の友人が、不慮の事故から失明したという

上原は彼を見舞いに行く



人は、自分が今までの人生で知ってるやり方でしか自分を救えない


時間かもしれないし

なんでもない生活のルーティンや、趣味かもしれない



私の古い仲間のひとりに


大人になってから大きな事故で体が不自由になった者がおりました


乗り物好きなアクティブな青年でしたが

もちろん、今までの仕事や生活はすべてできなくなりました



仲間同士で何度かお見舞いに行ったりもしましたが、

怪我が治っても、日常生活は続きます

むしろそこからが新しい闘いといえるのかもしれない


自立のための遠くの施設に入ったりして

私たちとはすこしずつ疎遠になりました


うまく言えませんが、距離がなかったとしても

その時はそうしたほうがいいような気さえしました




数年後

彼のお母様から、二人でミニコンサートをすると招待状をいただきました


お母様は、とある楽器を昔から続けている方でした

彼はリハビリをかねて少しずつ練習を重ね、

とうとう人前で披露できるまで上達したのです



少し歩くのが不便そうではありましたが

彼は立派に美しい演奏をやりとげ



奇跡の回復力だとか、ましてや事故の苦しみなどほとんど語られることなく

楽しいままコンサートは終わりました



体が動かしにくくなり、好きだった乗り物はもう乗らない

だけど、母が親しむ楽器に彼も親しむようになった


彼が見せる姿はそれ以上でも以下でもなく

そこにどれだけの葛藤があったのか、つらい日々や喜びがあったのか

そんなことを聞くことも想像することすら私たちには遠く



ただ、目の前の彼の演奏に心躍らせたのでした。


思えばずっと、私たちにできたことといえば、それだけでした。