料理なんて愛なんて
見た目の可憐さ、家庭的さとは裏腹に、まっったく料理嫌いな優花
家庭的感を薄めるためにロックTシャツを着たりしているが、
恋したのは「料理ができる女性」がタイプの真島。
優花は真島にふられてしまう。
そこから、「料理を好きになりたい」という優花の奮闘が始まる
はじめは、
「料理が下手でフラれた女の子が、料理に挑戦して、
恋も料理も少しずつステップアップする成長物語
」


みたいな感じかと思ったんですよ
ほっこりラブストーリーと簡単レシピ半々みたいな
(そういうホンワカしたお話も好きです
)


でも優花はいっこうに料理を好きにならないし、
ちょっと素敵な男性キャラも何人か出てくるのに恋愛もなかなか始まらない
相変わらず、思い返せば思い返すほどダサくて卑怯な真島なんかのことが好き
中盤過ぎて、この小説のテーマは
「こうなりたい自分」と「好きな自分」は、微妙に違うよ





って話なのかなって気づきました
それに気づいたら、なんだか心がザワザワしてきた



私にとってそれは「社交的な自分」



わたしってモブキャラじゃないですか
もうそれは自然なことなんだと思って受け入れているんですけど
やっぱり「社交的な自分」に憧れがすごいんですよね。



でも、「社交的な自分」って、急にまわりが持ち上げてなれるわけじゃなく。
自分から人に関わったり、多少傷つくことがあっても相手に踏み込んだり、
逆に誰にでもオープンマインドしたり、そういうプロセスが必須じゃないですか
私はそのプロセスがやっぱり苦手なんです。
苦手を無理してがんばってる時の自分もあまり好きじゃない



(ブログではかなりオープンマインドだけど)
もしかしたらだけど、もし私が客観的に「社交的な自分」になれたとしても、
意外と社交的な自分に居心地悪さを感じる気がする。
料理好きになりたい優花が、調味料やレシピを揃えたり料理をするプロセスを愛せないように
「誰かのために料理をするのが愛」みたいな言葉に居心地の悪さを拭えないように
でね、文中に
「好きになろうと努力してなった好きも立派に好きと言っていい」
みたいな言葉があるんですが
私かがんばって社交的なパリピになって、それを楽しもう!楽しい!って思えたら
それはそれで立派に好きってことでいい
優花も、ジタバタした挙げ句、誰かのために料理が好きになって、その誰かを好きになれたら
それはそれで立派に好きってことでいい
だと思うんですけど
やっぱり人ってそうそう変われない
優花は出来合いの食べ物にもちゃんと愛を感じるし、それと真島への想いは別物だし
「料理が愛情」だとはいうけど、そうじゃない愛情もある
私はやっぱり一人でいるのがわりと好きだし、自分からグイグイいくの苦手だし
「だれとでもと仲良く」が美徳とされてるけど、私の中にはそうじゃない美徳もある
物語のラストも、結局なにかが進んだような進まないようなモヤモヤ~



きっと登場人物はあまり変わらないままのような気がしてモヤモヤするけど
個人的には人間らしくていいラストだと思いました。

なにも変わってないように思えても、内面の葛藤に気づいただけで大きな進歩だと思うから
