ショッピングセンターには、身障者用の駐車スペースがあって、
そこは車椅子をだし入れするために車幅が広くとってある。
また、雨が降った時のために、出入り口に近いところに設けてある。
そこに正々と停めている健常者がいることが、ほぼ定常化している。
そうやっていて、こころに何も感じないのかとふと疑問に思うことがある。
きょうは、その駐車スペースの傍らにある歩道に、
しかも点字ブロックがある部分に車を停めている光景を見た。
その車から母親と子供が二人降りてきた。父親は待ちの状態。
不思議だった。子供が「ここに停めてもいいの」と尋ねられたら、
ふたりの親は子供にどう説明するのだろう?
もちろん、少し離れたところには、空きの駐車枠があるのにだ。
悪いと思えとは言わない、これは気遣いの問題だ。
こんな両親に育てられたら、子供はどんな大人になっていくのか、
そのうつし絵のようになるのは間違いない。
例えば、他の街に行って、同じような光景を見たとき、
第一印象として、その街のモラルの低さを感じてしまう。
そして、二度と訪れたくないと思うだろう。
街で生活するということは、街のモラルを作っているということだ。
おそらく、そういう輩は、自分や自分の家族が障害者にならないと、
その駐車スペースや点字ブロックの本当の意味がわからないと思う。
それは、とてもとてもかわいそうなことだと思う。
そんな心の輩に育てられる子供はもっとかわいそうだ。
思いやり、気遣い、助け合い。
もう死語になってしまっているこんな言葉の意味を、
考え直さないといけないような気がする。