パラリンピックの開会式。
健常者のオリンピックと、障害者のパラリンピック。
世界のスポーツの祭典としては、同じ土俵だと思うのだが。
この二つ、どうして同じ日程で行わないのだろう、
と毎回思っている。
そのスタートの由縁は詳しく知らないけれど、
バリアフリーの精神が浸透してきているいま、
あえて、健常者と障害者を分ける、区分する理由がわからない。
開会式に、どちらともが助け合いながら、入場していくシーンが、
全世界に流れてこそ、障害者がこの社会に受け入れられた、
素晴らしいスポーツの祭典となるのではないかと。
今後、分けて開催するかぎり、
本当の意味でのバリアフリー、
心のバリアフリーは訪れてはこないのではないか。
一般市民のなかにはそういう目で見ている人もいるんだよ。