小説や漫画で角膜移植が取り上げられた作品をこれまでに3作読んだことがある。

漫画で角膜移植が取り上げられていたのは手塚治虫の「ブラック・ジャック」と、くらもちふさこの「いつもポケットにショパン」の2作。
いずれも、移植を受けた患者側が描かれている。
移植患者としての立場からの感想なので、私の感じ方は他の方とは違うかもしれない。

ブラック・ジャックでは「春一番」というエピソードで、角膜移植を受けた女子高生が移植後幻影で男性の幻影を見るようになり、気になったブラック・ジャックがドナーのことを調べると、ドナーは殺人事件の被害者で、女子高生の見ていた幻影は犯人の顔だった、という話だった。
子供の頃、このエピソードを読んで「ブラック・ジャックみたいな凄腕のお医者さんやったら、ウチの目ェ治してくれるかもしれんなぁ・・・」と思ったことが何度もあった。
後年、出会った主治医は眼科領域ではブラック・ジャック並の腕の持ち主なので、主治医に移植手術をしてもらって子供の頃の願望が実現した気がしたのだった。

しかし・・・。
角膜はドナーの死後、6時間以内に摘出しなければ白濁して移植に適さない状態になってしまうので、殺人事件の被害者がドナーになることはありえない。
手塚治虫は阪大出身の医学博士なのでこのことは知っていたはずである。
あくまでもフィクションとして描いたのだろう、と思う。
考えてみれば、奇形嚢腫を整形してピノコをまともな身体にしてやったのも現実にはありえない話ではあるし。

くらもちふさこの「いつもポケットにショパン」では主人公麻子の幼馴染、きしんちゃんという男の子がドイツで列車事故に巻き込まれ目をガラスで負傷し、同じ事故で亡くなった母親の角膜を移植される、という話だった。
ただし、きしんちゃんは術後管理らしき行為をこの漫画の中で一切やっていない。
この漫画が描かれた頃は全層角膜移植が主流だったので、免疫抑制剤を全く使わない、というのはあまり考えられないのだが。
そこまで深く取材しなかったのか、作品のテーマの本流から外れるエピソードになるのであえて踏み込まなかったのか、はわからない。
いずれにせよ、「ブラック・ジャック」と「いつもポケットにショパン」は名作である。

小説では吉村昭の「眼」という作品がある。
この作品は角膜移植を行う眼科医が、ドナー眼球の摘出に向かう1日を描く。
眼科医は道中、様々な物思いに耽る。医療施術者側はこういう気持ちを抱いているのか・・・と、興味深く読んだ。
昭和40年代の話なので、アイバンクの運営やドナー眼球の摘出など、現在と違うところもあるようだが、ドクターの気持ちに大きな変化はないだろう。
興味のある方は是非一読を。