とりあえず、右目だけLASIK(レーシック)を行う、ということで主治医と話がまとまった。

私が受けた約10年前と現在では術式が異なっているようだが、LASIK(レーシック)というのは角膜上皮を器具で薄く切り、フラップを作る。
まるで、フタがあいたよう状態にしてレーザーで角膜実質を焼き、屈折率を変え、またフラップを戻し、近視を矯正する近視矯正術式である。

ヒトの角膜はおよそ0.5ミリほどの厚さしかない薄い透明な膜だが、5層に分かれている。

上から、角膜上皮→ボーマン膜→角膜実質→デスメ膜→角膜内皮、という5層構造になっており、実質部分が一番厚みがある。
LASIK(レーシック)はこの一番厚みのある実質をレーザーで焼き(というか削る)、屈折率を変えるのである。

コンタクトレンズをしていると常に角膜が少しむくんでいる状態になり、コンピューターで正確な計算ができなくなるため、まっとうな眼科医であれば、手術の前1週間ほどはコンタクトレンズを使用禁止にするはずである。

事前に裸眼視力を測っておき、コンタクトを使わなかった状態の目でさらに正確なレーザー照射時間、屈折率の計算などをするのだ。
もっとも、私の場合はコンタクトを使っていなかったので、術前1週間前の検査、直前検査ともに数値に変化はなかったと思う。

さて、いよいよ手術開始である。
自分で歩いて手術室に入り、点眼麻酔を受ける。

手術中は1点を見つめるように主治医から言われ、まずフラップが作られる。
麻酔のおかげで痛くもなんともない。
無事フラップができると、次はレーザーの照射である。
主治医に言われた1点をしっかり見据え、レーザーを当てられる。
焦げた匂いがするな・・・と思っていたら、あっという間に手術終了。

術後管理として、1週間顔を洗わないこと、洗髪を自分でしない、寝る前にプラスティックの眼帯を貼り付けて目を保護すること、感染症予防のため抗生物質を点眼すること、手術翌日の検査、1週間後の検査、1ヶ月後の検査は必ず受けること、を言い渡される。

洗顔や洗髪を自分でしないようにするのは、目に水が入らないようにし、細菌感染などの危険性を下げるためであり、眼帯を貼り付けるのはフラップがしっかり元通りにくっつくまで1週間程度かかるので、その間に無意識に目をこすったりしてフラップがずれたり切れたりするのを予防するためである。

さそれら諸注意を頭に叩き込み、付き添ってくれていた兄弟の運転する車に乗り込み帰宅する。
助手席で何気なく前を見ていて・・・ぎょっとした。
これまで、印象派の絵画のような視界で暮らしていた私が、前を走る車のナンバープレートをしっかり読み取れていたのである。

「ま、まじ~?今まで見えんかったのに、ナンバープレートの数字読み取れるでぇ・・・。」
「思い切って手術してよかったやん~~~」

もちろん、手術直後なので視界はクリアーではない。なんだか、光の洪水の中にいるような視界ではあるが、看板などの文字はちゃんと読み取れていた。

翌朝、起きてさらに仰天した。
メガネもない状態で、部屋の中のものがはっきりクリアーに見えるのである。
手術直後のような、光の洪水状態もなくなり、子供の頃の視力を取り戻したような感覚である。

術後1日目の検査に行き、視力を図ると右目は1.5に回復していた。

「傷口が落ち着くと視力も落ち着くよ。最終的には1.0か1.2くらいになると思う」と主治医。

あれから10年以上経過したが、右目の視力は1.0で落ち着いている。
視力低下を起こすこともなく、平穏に過ごしている。
まだ角膜移植を受けた、ということをカミングアウトしていなかった頃に、メインブログに「レーシック 眼科選びは 慎重に!」という記事を書き、そこでも書いたことだが・・・。
LASIK(レーシック)を受けよう、と考えるのであれば、眼科選びは慎重に行うべきである。

入院中に聞いた話では、美容形成外科でLASIK(レーシック)を受けフラップ作りの際に執刀医(当然眼科医ではない)が失敗し、角膜を破損したばかりではなく、水晶体まで破壊してしまい、担ぎ込まれた患者さんがいたそうだ。
まだ20代だったと思うが、角膜移植と人工水晶体置換術まで受けなければならなくなってしまったのである。
手術代が安く済む・・・という理由で安易に医者を選ぶと、こういう恐ろしい事態にもなりかねない。
くれぐれも、眼科選びは慎重に行うべきである。

さて、LASIK(レーシック)から1ヶ月目の定期検査時。
右目1.2、左目0.04。
よく見えるようになったとはいえ、右目には相変わらず負担がかかっていることは変わらない。
主治医に移植手術を希望する気持ちに変わりがないことを伝える。
「そうか・・・。わかった。では、僕の所属している大学病院で詳細な検査を行おう。」と主治医。

こうして、主治医の所属している大学病院で、左目の移植手術のための検査をすることになった。
暑かった夏が足早に過ぎていき、秋の気配がし始めた頃のことであった。