高校に入る少し前くらいから、負担の掛かり続けていた右目の視力が少しずつ、低下し始めた。

小学校を卒業するときは右1.5、左0.04だった視力。
中学校を卒業する頃には右0.1、左0.04までに低下した。

右目は負担がかかったせいでどんどん近視が進行していた。
しかし、メガネでの矯正は左右の視力差が大きくなりすぎるため、まっとうな矯正視力が得られない。
酸素透過性の高いハードコンタクトレンズを使えば、角膜の白濁している左目も申し訳程度に不正乱視を矯正することができたが、0.04がせいぜい0.08である。
しかも、私は体質的にハードコンタクトレンズが使えなかった。
すぐに真っ赤に充血してしまい、入れていられないのである。
そのため、メガネで右目を0.6くらいに矯正して黒板の文字を見るようにしていた。

やがて、高校を卒業する頃を迎えた。
以前、大学病院の医師に「高校を卒業するくらいの年齢になったら、アイバンクへの登録を考えては」と言われていた時季を迎えたのである。
ちょうど、私が大学受験に失敗し、1浪が確定していたこともあり、父が「どうせやったら、今のうちに大学病院の検査再度受けとけや」と提案した。
我が兄弟は剣道を習っていたのだが、その講師の先生が某大学病院の内科の講師でもあり、私の目のことは以前から知っていたので、「僕が教授に相談してみますよ」と、掛け合ってくれた。
この先生の上司の内科教授は大変人柄のよい人で、すぐに「僕から眼科の教授に直接診察してもらえるよう、お願いしておきますよ」と快諾し、紹介状まで書いてくれた。

内科教授の書いてくれた紹介状を握り締め、いざ、大学病院へ。
病院の受付で紹介状を渡し、両親と眼科診察室の前で待つ。
名前を呼ばれ、診察室へ。
最初は眼科教授の部下の若い医師たちが問診し、視力検査などを行う。
これは予想通りだったのだが、なんだか若い医師たちの様子がおかしい。
そのうちに「じゃあコンタクトレンズの検査をしますから」と言い出したのである。

たまりかねた父が、「あの、内科の○○教授の紹介で、眼科の●●教授に角膜移植のための診察をしていただけるはずなんですが?!」と問いかけると、「●●教授から、コンタクトにしといて、と言われてますんで」と若い医師たちは答えた。

そんな、アホな!!!

「この子、体質的にハードコンタクトレンズ、ムリなんですよ!それなのにコンタクトの検査、ってどないなってんねん!!」と怒る父に「そうなんですか・・・。教授からはそう指示されたんで・・・。」としどろもどろの若い医師たち。

これ以上いてもムダ、と判断し我々は引き上げた。
剣道の講師でもある内科医師が「どうでした?」と診察が終わって帰宅した頃を見計らい、連絡をくれたので事の経緯をありのままに伝えると、彼も「そんな、アホな!!!」と叫び、「すぐに教授に報告します!!!」と電話を切った。

後日、剣道の講師でもある内科医師が伝えてくれたところによると、内科から眼科に対し、教授自ら激しい抗議を行ったのそうだ。
内科教授からすれば、自分のメンツを丸つぶしにされたも同然である。当然だろう。
それに対し、眼科教授は「アイバンクの提供数も少ないし、登録しても手術の順番なかなか来ないし・・・」と散々言い訳をしていたそうな。
内科教授は「それなら、診察した上で患者さんにそうきちんと告げるべきだろう!!!」とかなり怒り心頭で、しばらく内科と眼科は冷戦状態になっていたらしい。

両親も私も、内科教授の考えが真っ当だと思った。
移植機会が少ないことも、提供が突然なので手術のチャンスもある日突然訪れることも、きちんと伝え、それでもアイバンクに登録し、移植のチャンスを待つか、と私に決めさせるべきだったのである。
残念な結果になってしまったが、内科教授には尽力してくださったお礼をし、同時に「この病院の眼科には二度と来ない」と、心に誓ったのである。
こうして、アイバンクに登録する機会を得られぬまま、私は翌春大学生になったのであった・・・。