先月、7月1日。
アメブロでやっているせどりブログ(現時点での私のメインブログ)に、「新しく 臓器移植の ブログやる・・・。」という記事を書いた。
あれからもう1ヶ月も経ってしまった。
他のブログサービスで始めようと、いろいろ検討したのだが、もうひとつのせどりブログをFC2で始めるのにもPCスキルが追いつかず、結構大変な思いをしてしまったので、とりあえず使い慣れているアメブロで角膜移植のブログを始めることにした。
私は小学校2年生の時、重篤な角膜炎にかかった。
後遺症として、左目の黒目の真ん中に角膜白斑が残り、視力障害が残ったのである。
大学病院の医師からは「もう角膜移植以外、治療の手立てはありません」と宣告された。
また、同時に「日本ではまだ献眼数が待機患者に比べて遥かに少ないので、アイバンクに登録してもなかなか移植の機会には恵まれないでしょう」とも宣告されたのである。
本来透明であるはずの角膜が白く濁ってしまうと、スリガラス越しに物を見ているような、常に濃霧の中にいるような、そんな視界で過ごすことになる。
幸い、右目には視力障害は現れず、健康な状態であったが、左目は常にスリガラス越しに見ているような弱視状態であったため、知らず知らずのうちに右目に負担がかかり続け、思春期になった頃にはどんどん右目の視力が低下し始めた。
そのまま、大学、社会人・・・と右目を酷使し続けた結果、気づけば弱視状態の左目の視力0.04に対し、健康なはずの右目の視力が0.02しかない、という恐ろしい事態に陥ってしまっていた。
メガネで視力矯正することはもうムリであった。
右目は重度の近視だったのでメガネのレンズで矯正が効くが、角膜の白濁している左目はどうにもならない。
矯正した際の左右の視力差が大きすぎ、メガネでの矯正はもうムリ、との判断だったのである。
コンタクトレンズであれば、左右不同視でも矯正ができたのだが、私はハードコンタクトレンズが合わない体質だった。
痛くて入れておられず、すぐに真っ赤に充血してしまうのである。
当時通っていた開業眼科医はこのような私の状態を考え「視覚障害で障害者手帳、申請しますか」と言ってくれたが、流石にこの申し出を素直に聞く気にはなれなかった。
逆に、「右目の負担を軽くするには・・・。なんとしても、角膜移植して左目の視力を回復させるしかない」と決意したのだった。
それから、ネットで検索に検索を重ね、今の主治医に巡り会った。
彼が移植を引き受けてくれ、手術を受けたのが今から約10年前。
「移植しか治療の手立てがない」と宣告されてから、実に約20年近い年月が経過していたのだった・・・。
それからも決して平坦な道のりではなかった。
このブログでは、移植を受ける前・受けた後の様々な体験・状態を書き連ねていくつもりでいる。
移植を必要としている患者の方やそのご家族、周囲の方に参考にして頂ければ幸いである。
アメブロでやっているせどりブログ(現時点での私のメインブログ)に、「新しく 臓器移植の ブログやる・・・。」という記事を書いた。
あれからもう1ヶ月も経ってしまった。
他のブログサービスで始めようと、いろいろ検討したのだが、もうひとつのせどりブログをFC2で始めるのにもPCスキルが追いつかず、結構大変な思いをしてしまったので、とりあえず使い慣れているアメブロで角膜移植のブログを始めることにした。
私は小学校2年生の時、重篤な角膜炎にかかった。
後遺症として、左目の黒目の真ん中に角膜白斑が残り、視力障害が残ったのである。
大学病院の医師からは「もう角膜移植以外、治療の手立てはありません」と宣告された。
また、同時に「日本ではまだ献眼数が待機患者に比べて遥かに少ないので、アイバンクに登録してもなかなか移植の機会には恵まれないでしょう」とも宣告されたのである。
本来透明であるはずの角膜が白く濁ってしまうと、スリガラス越しに物を見ているような、常に濃霧の中にいるような、そんな視界で過ごすことになる。
幸い、右目には視力障害は現れず、健康な状態であったが、左目は常にスリガラス越しに見ているような弱視状態であったため、知らず知らずのうちに右目に負担がかかり続け、思春期になった頃にはどんどん右目の視力が低下し始めた。
そのまま、大学、社会人・・・と右目を酷使し続けた結果、気づけば弱視状態の左目の視力0.04に対し、健康なはずの右目の視力が0.02しかない、という恐ろしい事態に陥ってしまっていた。
メガネで視力矯正することはもうムリであった。
右目は重度の近視だったのでメガネのレンズで矯正が効くが、角膜の白濁している左目はどうにもならない。
矯正した際の左右の視力差が大きすぎ、メガネでの矯正はもうムリ、との判断だったのである。
コンタクトレンズであれば、左右不同視でも矯正ができたのだが、私はハードコンタクトレンズが合わない体質だった。
痛くて入れておられず、すぐに真っ赤に充血してしまうのである。
当時通っていた開業眼科医はこのような私の状態を考え「視覚障害で障害者手帳、申請しますか」と言ってくれたが、流石にこの申し出を素直に聞く気にはなれなかった。
逆に、「右目の負担を軽くするには・・・。なんとしても、角膜移植して左目の視力を回復させるしかない」と決意したのだった。
それから、ネットで検索に検索を重ね、今の主治医に巡り会った。
彼が移植を引き受けてくれ、手術を受けたのが今から約10年前。
「移植しか治療の手立てがない」と宣告されてから、実に約20年近い年月が経過していたのだった・・・。
それからも決して平坦な道のりではなかった。
このブログでは、移植を受ける前・受けた後の様々な体験・状態を書き連ねていくつもりでいる。
移植を必要としている患者の方やそのご家族、周囲の方に参考にして頂ければ幸いである。