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明日11月28日は、チャイがうちに来て6年目になる日だ。
寺田町の風俗ビルのうらの、古いアパートに住んでいた頃、
実はチャイは自分の映画に出すために引き取った猫だった。
スコティッシュフォールド
という、人気の猫種だというが、
猫種に詳しくなかった私は面会に行った時に正直変な顔だと思った。
でも初対面の私に赤ちゃんみたいに甘えてきたチャイの顔を、その日以来忘れることが出来なくなった。

チャイを棄てたのが、ブリーダーなのかペットショップなのか、
一般の人が飼育放棄したのかはチャイのみぞ知ることだ。
ただ、霊能力のある古い知り合いは言う、
チャイがいた場所は地獄だったと。
そしてこうも言われた、チャイが逝く時はありがとうと言ってあげてと。
理由はチャイが知られたくないらしい。
でも私にはその理由はなんとなく分かる気がする。

映画を作って周りに誰もお金も人も何もなくなった時、そばにいてくれたのはまず、チャイだった。
その時は孤立していたように感じていた私が、本当は素晴らしい人たちに見守ってもらっていたと分かった時にも、チャイは黙ってそばにいた。

2012年には転職して広いベランダのある部屋へ移り、
2013年の夏に生後5ヶ月の若い猫を引き取り、家を買って、2015年の今頃、私は連れ合いと区切りをつけて、家族になった。

チャイはその移り変わりをじっと見守ってくれていたのだけど、2015年に式を挙げた頃から私は、チャイを今まで以上に顧みなくなってしまったように思う…。

結婚式は大阪から離れた場所だったのでチャイとノンちゃんは連れて行かなかった。
大晦日はUSJで過ごした。
年明けは夫の実家へ帰省した。
3月には有馬へ行って
4月には出雲へ行って
5月にはアメリカへ行って
6月は伊勢へ行ってカンボジアへ行った。
もうメチャクチャである。

それまでにも旅行が好きな私たちは、
信頼出来るペットシッターさんと知り合ったのをいいことに、海外や沖縄の長期旅行へ幾度となく出かけた。
もちろんチャイとノンちゃんを置いて、自分たちだけで楽しむことに味をしめていた。

分離不安 という言葉がある。
ストレスの一種だ。
私はこれがチャイの心と身体にダメージを与え、
細胞を変質させ、
ガンであるリンパ腫を発症させたのだと確信している。

チャイのリンパ腫が発覚する直前、
7月には串本へ旅行へ出かけ、8月には私の実家へ一週間近くも帰省していた。
とても暑い8月に、いくら冷房を効かせていたとはいえ、私たちのいない時間はチャイにとってどれだけ長かっただろうか。

大阪の家へ帰ってきたその日に、私はチャイの脇腹にしこりを発見した。

悪夢のような話だ。
私がチャイにまともに触れたのがその日でなかったら、状況はもっと深刻だっただろう。
チャイは大手術に耐えてくれただけでなく、抗がん剤への副作用もそれほど感じさせずに今を元気に過ごしている。
チャイとちゃんと向き合ったら、チャイが可愛いワガママを言ってくれるようになった。

おやつ食べたい
遊びたい
ベランダへ行きたい
甘えたい

ノンちゃんが来たあたりから、チャイが抑えてきたワガママ。
チャイは遠慮してたんじゃなくて、私が気づかなかっただけのように思う。
チャイはもともとそうだったのに、私が見ないふりをしていた。
それをちゃんと受け止めることが出来るようになったのは、チャイの身体が考えるチャンスを与えてくれたからだと考えている。

ガンは生活を見直しなさいというサイン、
そういう説がある。
ガンは内なる敵だ。
チャイ自身がもっとこの世界にいたいとそう思ってくれれば、チャイの寿命はチャイが決められるはずだ。
私たちはそのサポートをする義務がある。
一人の時、二人になって、たくさん迷惑をかけた分、
チャイに出来ることを精いっぱいして恩を返していきたい。
チャイが逝く時はまだ先だと思うから。