こんにちは。本日2度目の登場です。
たくさん寝ているので元気です(笑)。
皆さんは『秋山ちえ子』さんを御存知でしょうか?かってTBSラジオで『秋山ちえ子の談話室』って言う番組を45年間も!放送されていた女性パーソナリティの方。
※御興味のある方は検索ください。ウィキペディアでも『秋山ちえ子の談話室』で検索できます。
※※2016年に99歳で御逝去なされたそうです。
僕も習志野の陸運事務所に車検に通っていた頃は帰り道の道中で良く聴いていました。
その秋山さん、8月15日には毎年決まってある1冊の本のお話をしたそうです。
本のタイトルは『かわいそうなぞう』。
僕の世代では、おそらく誰もが知っている物語。
毎年同じ話をする事によって彼女は戦争の悲惨さや不条理さを風化させないように努めていらっしゃったのでしょうね。
それに感化された訳ではありませんが(いや、かなり感化されているなw)、僕も本日5月2日に毎年毎年繰り返して載せたいブログがあるんです。
それを書いたのが2019年5月2日。
この年の4月から11月まで奥さんが長野県の上高地に働きに出かけ、僕が結婚後初めて一人で過ごすGWの10連休も半ばを過ぎた頃でした。
どうかお読みください。
タイトルは『忌野清志郎さん。』
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『忌野清志郎さん。』
こんにちは。いいお天気です。
久しぶりに洗濯をして、洗濯物を外に干しました。ただ午後から雷雨の予報。
早く乾いて!(笑)
長いGWも、いよいよ後半に入りましたね。明日からはお天気も良さそうなので自転車でお出かけできるかな。(これまでも結構出かけてるか。笑。)
家にいると朝からお酒ばっかり飲んでしまいー
良くありません(笑)。
お天気が悪いとアルコール依存症になっちゃいます!!!
さっき、ネットを開いたら朝日新聞の『天声人語』で(僕の好きな先生)と言うタイトルの記事が目に入りました。
『僕の好きな先生』って言ったら今は亡き、忌野清志郎さんの率いた初期のRCサクセションのナンバー。何か関係あるのかな?と思い本文に目を通すとー
「『十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう。』50年前、本誌の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母であるー」
その先は有料だったので読めませんでしたが、なぜだか微笑んでしまいました。
RCサクセション。その音楽。。。よりもビジュアルを初めて目にしたのは22,3歳の頃でしょうか?
最初にハマったのは10歳年下の妹でした。
「イマワノキヨシローって人のRCサクセションてグループ、かっこいいんだ!」
写真を見せてもらってぶっ飛びました。
なんかリスざるみたいな奴が写ってる。その上、化粧までしてるー。(ご、ごめんなさい!)
「君、ほんとにこんなの好きなの?趣味わりーなぁ。」
なんて笑ったら妹がふくれていたのを思い出します(笑)。
まあ、12、3歳でRCに魅かれた妹の感性にも驚きますが。
で、RCサクセションってバンド名と忌野清志郎って名前はとりあえず覚えました。でも曲は聞かないまま。その後どれくらい経ってからか、どんな機会でか、今となってはまったく記憶にないのですが、ある時何かの拍子で曲を聴いたんです。
それが『トランジスタラジオ』。
♪ウ~ゥ 授業をさぼって イエ~ィ 日の当たる場所にいたんだよ 寝転んでたのさ 屋上で タバコの煙とても青くて…♪
またもぶっ飛びました。だって高校生の頃の自分そのものの歌詞だったんだもの。ハイトーンの清志郎さんの声が心に響き、早速妹の持っていたLPを借りてカセットテープに起こし何度も聴いたものでした。
※平成生まれの人達にはなんのことか、わかんないだろーな(笑)。
『雨上がりの夜空に』、『スローバラード』・・・
好きな曲も徐々に増えて、いつの間にか僕もRCのファンになり妹に笑われました(笑)。
『よおこそ』って曲。RCのライブのオープニングナンバー。いろんなライブに出かけたけれど、あれを越えるオープニング曲は聴いた事がありません。もう最高!
妹にお願いされて西武ドームのコンサート(笑)にも行ったっけ。
今でも忘れられない思い出がお客さんも一緒になって大合唱したあの歌ー。
「日本の偉大なロックンロールナンバーだぜ!」
清志郎クンの掛け声とともにみんなで歌った曲。それがー
『上を向いて歩こう』
でした。
時は1985年8月12日。日もとっぷりと暮れていた事を記憶しています。
この日、わかります?、この曲のオリジナルシンガー知っています?
本題からはそれますが、のちに思い返し不思議な気分になったものです。
その後もTVやラジオで彼の活躍を見て。RCが活動休止して、なんだかより自由になったような清志郎クン。自転車で九州まで行っちゃったり、曲のPVで坂本龍一さんとKISSしたり、反原子力の歌作って放送禁止になったりー。
(ほんと元気なおじさんだなぁ。)
なんて笑っていたら突然ガンになった事を公表。治療に専念するので活動停止。
その頃、友達でスタジオミュージシャンをやってる奴がいて(清志郎クンとも少し関係があるのは聞いていました。)、クラス会で会った時に
「キヨシ君、体調どうなの?」
って聞いたら
「元気元気、大丈夫だよ。また活動始めるって言っていたから。」
それを聞いて安心して、実際活動再開を知り喜んでいたらー
TVで訃報を目にして。。。
今でもたまにYouTubeでRCサクセション聴きます。やっぱり一番は『トランジスタラジオ』。
この曲のコメントの中にこんな一文がありました。
「この人がいなくなった時まだ10歳にも満たなかったけど、おふくろがニュースを見てテレビの前で泣いていたのを思い出す。いまこのライブを見ておふくろの気持ちがわかる、そんな気がして涙が出た。」
この文を読むと毎回泣いてしまいます。年取って涙もろくなっちまって(笑)。
やっぱり何か影響を受けていたのでしょうね。ずっと気にしていましたし。
奇しくも今日5月2日は清志郎さんの10年目の命日。もう10年も経つのか、まだ10年しか経っていないのかという相反する思いが交叉します。どっちにしましてももっともっと歌っていて欲しかったな。
矢沢永吉さんも70歳だと言うし、年齢からみたらほんと最後のロックンローラーだったの?キヨシ君。
久しぶりにライブでも見ましょう。
「ベイベー、愛し合ってるかーい?」
キヨシ君の問いかけを真面目に考えてみたいから。
合掌。