こんばんは。昨日の続きです。
1990年4月28日午前11時過ぎ、奥さん入院。(僕、付き添い)
そして4月29日午前0時6分。
僕は父に、そして奥さんは母になりました。
記憶をたどれば、懐妊後、立ち会い出産を望む奥さんのお願いを1度は拒絶したものの
(まあ、本人が1番望む形で出産してもらうのがいいか。)
と、しぶしぶ承諾。その後
(みんな来るよ。)
と、言われ出席した立ち合い出産の説明会。でも男性は関係者以外僕だけで(笑)。20人を超える妊婦さんのパワーに圧倒され、ずっとうつむきながらも必死に覚えた出産時の呼吸法。
※ヒッヒッフーってやつです。
で、いざ出産。
分娩台に横たわる奥さんの頭の上で主治医の先生と4月28日中に産むか29日にするか検討していたところ(既に時刻は28日の午後11時50分を回っていました。)、奥さんに激怒され二人で平誤り(笑)。
(ここで産みましょう。)
お医者さんの言葉で懸命にいきむ奥さんの見た事のない顔色にびびり、
(この人には一生逆らわないようにしよう。)
と決心し(笑)、
直後、やっと生まれたと思ったら首に臍帯が二重巻きになっていてまったく泣かない赤ちゃんー。
「先生、泣かないじゃないですか!」
「大丈夫!ちょっと待って。」
と言いつつ赤ちゃんの足を持って逆さにしてお尻を何度か叩くと。。。
見事な泣き声が分娩室に響き渡りました。
分娩をヘルプしてくれた看護婦さん、
「おめでとうございます。男の子ですよ。」
「ありがとうございます!」
先生方にあいさつを済ませ急いで1階の公衆電話に走り(分娩室は確か5階でした。)、両方の両親に連絡。それから奥さんと少しお話をして病院を出た帰りの駐車場で
(僕もお父さんか。。。頑張らなくっちゃなぁ。)
と、空を見上げながら決意を新たにしたあの夜ー。
あれから30年も経ったなんて。。。
おかげさまで息子君、ほんとに立派に成長してくれました。
母親譲りの穏やかな性格で人望も厚く文武両道。容姿は僕ほどではないにしろ、そこそこイケメンで(笑)。
息子君、60歳を過ぎてもボールを蹴っているサッカーおじさんの永遠のアイドルはヨハン・クライフ、ジョルジ・ワグネルー、
そして君です。
中学生の頃の左腕にキャプテンマークを巻いた君のプレーは本当に凄かった。クラブチームでプレーする子供達と遜色ないくらい。
君は父の自慢でした。
その後、高校生になって勉強と部活の両立に悩んでいた君。
両親は相談こそ受けましたが最後は君の決断に委ねましたね。それが最良の方法だとわかっていたから。
そして君の出した答え。君は勉強を選びました。それで良かったと思っています。何故なら君の出した答えでしたし、何よりも君の人生なのだから。
※本当は少し残念でした(笑)。部員100名近くの中、1年生の時からトップチームにいたし。
君には感謝しかありません。君のおかげで僕も立派とは言えないまでも、それなりのお父さんにはなれたような気がします。相変わらず情けないけれど(笑)。
これからの君に望む事。
今までのように颯爽とした息子君でいてください。それからお母さんとも変わらず仲良しでいてあげてね。もちろん僕ともだけどさ(笑)。そして自分が信じた道を歩んでください。両親は常に君の味方です。
とにかく30年間ありがとう。本当に楽しい思い出をありがとう。これからもたくさんたくさん幸せになってくださいね。それが両親の願いなのですからー。
現在は藤沢市在住の湘南ボーイ(笑)。こちらのフットサルも中断しているのでなかなか会えないけれど世の中が今より少し落ち着いたら盛大に『生誕祭』をやりましょう(笑)。
そう言った訳で、息子君、
30回目のお誕生日。。。
おめでとー!!!
じゃあ、まったなー!
※すみません、親ばかで。でもほんといい奴なんです(笑)。
それでは。