秋冬は、太陽があまりでないから、もう何年も前からうつ傾向が強まってくる。
ちょっと前に、飲んでいた薬を無理やりやめたところ、ものすごい離脱症状が出て、どん底のさらにどん底の気持ちまで落ちていた。今はなんともないけれど、いろんな精神症状が次々と出てくる。

それに際して、SNSでの閲覧ページを制限することにした。
自転車関係のみ通知が入るようにし、自分が発作を起こす可能性がある人、物事と避けている。決して、つながっている友人のことが嫌いとかではないのだけれど、調子を崩すのはだいたいSNSを見た時なのだった。

なんなんだろう、あの無性に寂しくなったり、いらいらする気持ち。
そして、とっても強い見捨てられ感を感じる。
いてもたってもいられなくて、切れることもある。記憶が途切れることもある。

必死に、なににしがみついているんだろう。SNSでなくても、メールすればいいし、直接話せばいいし、特に会うのが困難な人と繋がっているわけではないのだから。

結局のところ、私は自分に自信もなければ、周りを信用してもいないのだ。
どうせ、見捨てるのだろう、私のことなど誰も気に留めていないのだろう、ひとりぼっちになるのだろう、そんなことばかり考えているのだ。
だから、SNSで存在を示すようなことをしないといけないような、強迫観念があるのだと思う。また、自分と親しい人が、どこか取られてしまうような感覚が起こってしまうのだと思う。

すべては時期と、季節と、人との関係・・・
歩いていきたいけど、たちどまってしまう。どうしても。
昨日の晩、心がパンクして、おもわず家にあった鎮痛剤と風邪薬のカプセルを合わせて30錠くらい放り込んでしまった。

これくらいじゃ死ねないなと思ったのだけれど、死ぬ気マンマンで、別の部屋で寝ている母にメールを送った。

しぬか、死に損なったら、付き合っている彼に連絡をしてほしいと。

すると意外にも母が起きていて、ぶっ倒れていた部屋に突入。その後、薬を吐き出しました。
そのため、今は体もだるいだけで、不調はありません。仕事は休みましたが、水と食べ物も口にすることができました。

自分のそばから、大事な人がいなくなるのがいやなくせに、その苦しみから逃れるために、自殺を考えれる。その自分の考えが、とても汚いとは解っている。

心配、不安、恐怖・・・
泣いても泣いても処理しきれない、飢えている感じ。こわくて、死のうとする自分。
どうしたら治るのでしょうか。

忙しさにかまけて行けなくなったカウンセリングに、もう一度行こうかなと思い始めました。頭の中のぐちゃぐちゃな回線が、まっすぐになるならなんでもしなくちゃ。

心配とか不安ではなくて、今を十分たのしんで、幸せをかんじるために、やれることをやらなきゃ。

生きながらえてるわけだから、やらなきゃ。
発熱、めまい、難聴…ここのところ調子が悪すぎて、周囲には心配ばかりかけてしまった。

精神的ダメージで衝動的行動もあったし、破壊行動もあった。自傷行為はしなかったけれど、いつ涙があふれてくるかよくわからいような状況。

2か所で仕事をしていて、化粧品で正社員だったころの超激務に比べたら楽だから、絶対大丈夫だろうと思っていたのですが、自分の中では精神的にダメージをすごく負っていたようで、
帰ってきては不安定…もう一か所に行って、また帰ってきては不安定…。そんな日々でした。2か月は何事もなく過ごしてきたのになあという気持ち。情けないなあという気持ち。

自分がとてもふがいなくって、世間一般のみなさまに顔向けできん…という思考に陥ってしまうともう止められない。

何もかもが自分を否定しているように思えるし、家族の態度も全部泣けてくる。味方はいないんだと思い込んでは、ズブズブに沼に落ちていく。そんなときだから、一番身近な大事な人にたくさん迷惑をかけてしまう。

私は自分をダメだと思うと、周囲も愛想をつかしていくだろうと考えてしまう。こんな私だから、だれも傍にいてくれないと思ってしまう。怖くて怖くて仕方がなくて、2歳児みたいに泣きます。お母さん、お母さんって。お母さんじゃなくても、泣いてしまうこともある。

小さな子供は泣いていろいろなものを求めるけれど、それと同じことをしている。障害の一部だけれど、私はこれが本当に嫌だ。後からものすごい自己嫌悪に陥る。
なんであんなことしちゃったんだろう。あんなことしたから、今度こそ嫌われる。今度こそひとりぼっちになる。と、またズブズブの沼地。仕事の悩みとは別の沼地に落ちていきます。

このままじゃ、楽しいことも楽しいと思えなくなってしまうし、泣いてばかりだと頭痛もする。やらなきゃいけないことはタップリあるのだし、私の人生には目標もある。だから、今一度私自身と戦う決心をしなくてはと思いました。
12年つきあってきた2歳児の部分をもっと理解して、どんどんそれをちいさくしていって、ほんとうの私でいる部分を大きくしていきたい。死にたくなってもたたかう。

見捨てられるのが怖いのに、自分で自分を見捨てるのはやめないといけないと、心から思った。
ぐるぐる。発作。

よく、そのままの私でいればいいと言われますが、
私には、どれがそのままの私なんだかわかりません。一番不可解で、一番の敵が自分です。

こんな私は嫌だと、いつも思っていて、
きっと周りもこんな私は嫌だろう、と思っているから。

泣きたい気持ち、怒りたい気持ち、寂しい気持ちなどのマイナス感情が自分の中で出るたびに、とてもわるいことをしているような気持ちになって、「なんて悪い子なの」と咎められる気がして、気分はどんどんダウンしていくのに、私は楽しく笑っていなきゃと考えて、ぐしゃぐしゃになる…という悪循環。

悪い子には、ご褒美もないし
ほめて、頭を撫でてくれることもないし
傍に、だれもいてくれないんです。
離れていくんです。

離れていかれるのが一番怖い。
なのに、このままの私、そのままの私でいる自信なんてない。

そもそも、そのままの私って何。
いつも笑っていればいいの?泣かなければいい子なの?感情がおちつけばイイコなの?周りにとって楽ちんなら、いいこなの?

どこまでいい子になれば、みんなはなれていかないの?

とてもこわい。こわい。


おちついてくれ・・・、たのむ。

去る29日、春の演奏会に出演してきました。
20年以上もお世話になっている先生にお話しして、実家に戻ってきてからこの日まではあまり時間がないと解っていましたが、急きょ出させてもらうことに。

自転車の仲間に声をかけさせてもっらたところ、みんな雨の中来てくれました。中には、電車で2時間ほどかかる距離の友達も。うれしくて、幸せでした。

曲目は、弾き語りで、奥華子の「ガーネット」と、声楽でフォーレ作曲、ポール・ヴェルレーヌ作詞の「月の光」を歌わせていただきました。
弾き語りは何度かやっているんですが、声楽は初めてでした。しっかりとした声楽を習っていたわけではなく、ミュージカル科で昔、舞台で歌うということを経験した程度。ですが、楽しく歌うことは誰にも負けないという気持ちでやりました。

月の光は、切なくて優雅な旋律に、憂いの気持ちがこめられた歌詞が印象的。きらびやかな舞踏や演奏家の裏で、月の光が移る噴水を見て、そこになんともいえない栄華の儚さを歌っている。と、私は思いながら声を飛ばしました。

ガーネットも、映画の主題歌なので有名どころではありますが、それだけでなく、私にとっては感情を反映している…そんな曲だったので、より心を込めることができました。

心を込める、なんて言葉は簡単で、ピアノソロをやるときでもいつでもそうしているつもりでした。でも、今回は一層それが自然とできたなと感じています。みんなが来てくれたからでしょうか。聞いてくれる人がいると、違うなあと感じています。

これからも、音楽をやめることなく、手放すことなく、細く長く付き合っていけたらなと思っています。次は何を奏でようかな。