本日の旅先サントリーニ島
2024.6
サントリーニ島、イアの街
7週目、ギリシャ🇬🇷サントリーニ島。
3泊中2日の滞在。宿泊は島の中央にあたるティラ。
海岸沿いの白い壁と青い屋根、夕日が有名なサントリーニだが、三日月型の本島に囲まれる形の離島には火山と温泉もあり、ボートでのツアーもある。
長期滞在するならば行ってみたいところだ。
島の西側は断崖絶壁となっていて、ビーチは空港もある東側だけのようだ。西側の断崖に建つホテルには海の見えるプールが並んでいる。
大きな町は中央のティラ(フィラ)と北側の絶景で有名なイアだ。湾には毎日違うクルーズ船が浮かんでおり、昼間はせっせと小船で崖の下にあるオールドポートに人を運んでいる。
恐らくなのだが、大型クルーズ船が数隻いると、ものすごい人数が上陸してくる。
2日目がその状態で、町に上がるケーブルカーは長蛇の列(軽く1時間は並んでいそう)。
街中の狭い道も清水寺の三年坂状態で横切ることもできない。
うっかりケーブルカーで港に降りてきた我々は、海鮮ランチをして様子を見るも(ここで食べたスズキの塩焼きが絶品だった!)、戻りの登りケーブルカーは引き続き長蛇のまま。他に町に戻る方法は徒歩かロバである。生憎、ドレスワンピースを着ているので、どちらも不可。ところが、災い転じてなんとやら。北のイアの街までのボートとティラに戻るバスのパッケージツアーを発見。
この日は夕日を見にイアに行く予定だったので、渡りに船とはこのこと。
しかも、海からの景色も楽しめて、30ユーロ。
ところが!!!
イアに着くと、こちらも大渋滞に大混雑。
白壁と青い屋根をバックに写真を撮るのに道に長い行列ができている。
まあ、大型クルーズ船(恐らく5000人規模?)x2隻の7割が下船するとして、7000人が海から上陸。そりゃ混むわ。
というか、クルーズ船に乗っての旅行も大変だ。
イアの街
というわけで、夕日の時間が近づくにつれ人がさらに増えてきたため、混乱を避けて19時のバス(ツアー最終便。このあとは市バスになる)でティラに戻り、ホテルの部屋のテラスで夕焼け見ながらテイクアウトのファラフェルとグリークサラダを頂きました。(ティラの街も身動き取れない混雑だったのは言うまでもない。ケーブルカーもきっと凄いことになってるのだろう。)
ティラの夜景
翌日は、人の少なそうな内陸の丘の上にあるフィルゴスという可愛い城下町に。ティラからバスで15分ほど。打って変わって、人も少なく、小高い丘の上の城跡から海まで見渡せる。
ホテルのフロントで教えてもらった、ワインとおつまみの店も最高に美味しかった。
結果的にこの日(金曜日)の夕方はティラもそこまで混んではいなかった。クルーズ船は1隻のみ、すでに人は船に戻ってるようだった。
フィルゴス城跡からの眺め
オーバーツーリズム
アテネもそうだが、狭い空間に人の密集がすごい。
アテネは朝一番で動けばまだ良かったが、路地も狭く全員が夕日を見にきているようなサントリーニは人の密集度合いが凄すぎた。
では、知っていたら行かなかったかと言うと、
知っていたら、より負荷の少ない方法を考えて動いただろう。今回も試練はあったが、うまく軌道修正できたかなと思う。
・週末の方がクルーズ船が少ないなら、日程を週末に合わせる
・朝早く活動する(人が少なくて写真撮るにも良い)
・より人の少ないエリアを訪ねる(今回はピルゴス。十分に白壁と青屋根、海も見れる)
・崖沿いのレストランを予約して、夕日を見ながらディナーする。
我々は初日に景色の良さそうなレストランに行って、海側のサンセットも街の夜景も両方に面した角席のテーブルを指定して2日後の8時に予約をした。レストランの席なら、人混みも関係なく夕日と夜景と食事をゆったり満喫できる。まずはカクテルでゆっくり日が沈むのを見て(食事は後でオーダーすると言えばok)、日が沈んだくらいに食事をスタート。時間制限はないので存分に楽しめる。
ちなみに、何件か聞いて一人当たり約50ユーロ前後が相場のようだ。
もちろん、お金に余裕があって、イアの岸壁のホテルに宿泊できるなら、部屋のプライベートプールに入って(貸切温泉くらいのサイズ感)、一日中海を眺めながら部屋から動かない、というのがベストだろう。
いや、ヨーロッパの友人と話していたのだが、毎年6週間休む彼らの選択肢にサントリーニやドブロフニクはないらしい。クレタやモンテネグロとか、他の人が少ない場所でのんびり過ごすのだ。
そう言われれば、アメリカ人と南米らしき人が多かった。知ってる人は行かないようだ。とはいえ、初めてのエーゲ海、アドリア海としては定番で良いのではないだろうか。ヨーロッパ人の彼らも多分昔は一度は行ったことがあるに違いない。
日本にいて激混みの京都に行くくらいなら、奈良の唐招提寺や法隆寺とかの方がいいよね。と我々が言うのと同じだろう。かくいうヨーロッパ人にもそのルートを勧めておいた。