私の小学校時代は、本当に活発で、男の子よりも男の子らしく、短髪がよく似合う子供だったと思います。

お昼の給食は、人一倍おかわりしていました。特に米!ニンジンごはんの時は4杯ぐらい頂いてました。。でも牛乳は残していましたね、、牛乳と和食の組み合わせは、未だに謎です。

牛乳とご飯の組み合わせって美味しいと思いますか??笑 

私は給食と言ったら、もちろん水道水派!、、、

 

そして、運動が大好きで、お昼休みは外でドッジボール、ドロけ、鉄棒、など、よく遊んでましたね。。

遊ぶことが目的で学校に行っていたと言っても過言ではないです。

 

放課後の部活動は、陸上部に所属して、中距離を練習していまして。。個人的にハードルが当時やりたかった種目ですが、、ハードルは背が高い子たちが選ばれてやっていましたね。。背が小さいと本当に不利な世の中じゃ、、、と言っても、習い事をしていたので、なかなか陸上部に参加することは難しく、月に数回行けるかどうか、、と私は若干幽霊部員の方に属していたかもしれません、、

 

習い事は、水泳、バレエ、学研。

私は、金づちで水に沈み、水恐怖症だったんです、、お風呂の水が揺れることすらNGで、水の中に潜るなんて考えられない光景でした。

でもやはり、怖いからって避けて生きていくわけにはいきませんから、水に慣れて泳げるようになるようにスイミングスクールに通っていました。確かスイミングスクールは保育園の時から行っていたと思います。

スイミングスクールには、階級があって1級に近づくにつれ大変になるのですが、

結局、小学2年生の時に、1級を取得するほどに成長しました。1級は、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールをそれぞれ25m、計100mをノンストップで泳ぎ、そして決められたタイムの中で泳ぎ切らなければ合格できない。というもので、、、兄や兄の友達よりも速いタイムで合格してましたね。

子供の頃は、練習すれば運動ならなんでもできた方だったと思いますね。

 

ですが、勉強だけは、できない、、、九九を暗記して、母に見せた時号泣していましたからね、、

まさか九九が出来るようになるとは思はなかった、、とのコト。。

全ては学研のおばあちゃん先生のおかげです。やはり、学校だけでは、理解するのに時間が少し足りなくて、、学研で予習したり復習したりすることで少しずつ、並の脳みそさんに生まれ変わることができました。

 

 

小学高学年になって、「中学受験」という言葉が耳に入ってくるようになりました。

当時家の近くに中高一貫の新学校ができたからです。

私は、そういう周りの情報や変化に疎く他人事のように思っていたのですが、、母に、

受けてみるだけ受けてみなさい。家が近いし合格してしまえば高校までお受験なしですから。。

、、と言われ、何も思わず、何も考えず、受験する方向に、、、

教材を買ってもらいましたが、押さえておかなければいけない重要点や過去問をとことんやりませんでした。

、、、結果はもちろん不合格。ですが周りの子達は合格していて、、

その時にやっと、勉強しておけばよかった。と思いましたし、私の脳は不良品だな、この脳とこの先ずっと一緒かぁ、と、、やるせなくもなりましたね。

 

一番仲が良く、いつも一緒に下校をして、顔も似ていたので、よく周りから双子と間違われていた友達はその新学校へ、、、

私は、墓地を通り抜け、登ったところにあるオンボロ中学校へ、、

私が中学校に登校する時間帯に、その子も登校していたらしく、道ですれ違うことがよくありました。

なぜか、ぎこちない空気が漂い、ぎこちなく挨拶を交わし、ぎこちなく面白くもない会話をし、ぎこちない「じゃあね〜」を交わし、、、、まだ心が未熟だった私は、ぎこちない理由がわからず、、、

今思えば、そりゃそうだ、、、無論、その子に気を使わせてしまっていたと気付くのはまだまだ先の話で、、、、

 

 

ですが、オンボロ中学校に行って、思いっきり中学生を楽しめたと私は思います。

家庭部に入部して、個性豊かな、言ってしまえば陰キャが勢ぞろいの部活ですから、、たくさん刺激をもらいました。

中学校になって陽キャの方々は、異性と薄っぺらいお付き合いをしたり、人間関係のいざこさ、先輩後輩の関係、と人間としての準備をしていましたね。。

私にとってそんな準備はまだまだ先のことでしたが、、、、唯一、苦みが強いダークチョコレート・カカオ75%くらいの初恋は経験しましたね。今思えば、可愛らしいです。。

 

後々中学校の話も詳しく書いてみようと思います。。