ご近所の90代のおばあちゃんの
自宅横に大きな梅の樹がある。
そして樹の根元に祠(ほこら)がある。
2~3か月まえ
『うわ!神様がある!素敵ですね』と声をかけた。
(少しあわてた感じで)
『私じゃないの。
亡くなった姉が神様を信じてて
祠(ほこら)を造ったもんだから
あたしはあんまり手を入れてない。
ほったらかしになってて恥ずかしい』
と言っていた。
さっき手入れしているのを見かけて
気づいてないからボーッと見てた。
足腰に痛みが走るであろう小さな身体で
手入れができる限りのことを
一生懸命やっていた。
一度拭いた場所も
汚れが気になるのか
細かくお手入れしていた。
前におばあちゃんと話してて
悲しくなったことがある。
とても気さくで
とても優しく
とても感じの良いおばあちゃん。
大好きだから、会うたびおしゃべりをした。
ある日、他のご近所さんと3人で話していたら
『お金はいいの!なんも困ってないから!』
『この人も色々あるんでしょうから、いいの!』
とご近所さんに言い始めた。
ん??????? 何だ? なんだ?
何かあったのか?
するとご近所さんに
『この子はお金を返さない』と言い始めた。
( ̄□ ̄;)!!?????????ん? え?!
あたし???
え?
あたし???
ワケわからない気持ちになった。
きっと、誰かと勘違いしているのだろう。
いちお私ではない!と話はしたが
現在も そう思われている のか不明。
でもそれはしょうがない(記憶があいまいなのは
おばあちゃんのせいじゃないしどうすることもできない。借りてないのが事実だから。)
でも、その時わたしは
とてもとてもとてもとても悲しくなった。
なんだかとっても悲しくなった。 悲しんだ。
記憶があいまいになる
おばあちゃんに ではなく
記憶があいまいになっている
おばあちゃん までも が
こんなにも言いたい気持ちを押し殺し
『自分の本音を言わないのが優しさ』だ
と信じている世の中だったのだ。
ということに悲しくなって、腹が立った。
『あんた!お金返してよ‼️』って気持ちを
押し殺して、笑っていたのだ。
それ以来
なるべくわたしは声をかけないことにしている。
おばあちゃんを嫌いになんてなってない。
素敵な可愛いおばあちゃんで、優しいおばあちゃん。
でも私は、『私を守るため』に
声をかけないことに決めた。
楽しく話したのに『忘れ去られる』のことが
『今の私にとって、さみしさを呼ぶ』から。
でも大好きだし 気になるから見ちゃう。
たまたまボーッと
小さな身体で祠のお手入れしてる姿を見て
『あー。やっぱり目に見えない存在
(神様やご先祖様や亡くなった方々のこと)を
大切に思ってるんだなー。』と思った。
いろんな存在が
おばあちゃんのそばに居る気がして
涙が溢れた。
そしたら
自分のそばにもたくさん居る気がして
さらに泣けてきた。
それぞれ好み(違う価値観)があることを知り
『本音だからこそ語り、価値観の違いを知り、自分を深く知って許していく喜びの時代』になった『今』が、すでにここにあることに感謝します。
おばあちゃんありがとー!
大きな気付きに感謝します。
メグセレ