自分が何を望んでいるのかわからず、

常に他人に認めて欲しがり

認めてもらえないと怒りを覚え

『どうすれば認めてもらえる?』

『人として何が正しい?』

『嫌われないために何をする?』

『これがバレたら嫌われる』

『バレないようにしなければ』

『本音を出したら孤独になる』

などなど



『本当の私』を隠し続け、

『本当の私を出したら嫌われる』と

自分を疑い続け、

『それは違う』と思ったときも

『嫌なことをされた』ときも

ひきつり笑いでその場をしのいでいた頃もある。





優しくて穏やかなお母さんになりたくて

子どもに恵まれたことが嬉しくて

可愛いくて可愛いくて

ずっと見てても飽きなくて

幸せ〰️❤️って感じてるのに




ちょっとしたことでカッとなり

『さわるな!』

『あっちいけ!』

『ふざけんな!』



『うざい!』



『あー!もー!なんなのよ!!!』

『もう嫌!嫌なんだってば!』

『またやったの?』

『あー!もー!なんなのよ!』と

泣きながら攻めまくり

奇声をあげまくって育てました。









毎日毎日イライラして

毎日毎日子どもに八つ当たりし

八つ当たりしたあと

うまく自分をコントロールできないことを伝え

抱きしめて言い訳する日々。



毎日ヒステリックに生きていることが嫌で

嫌で 嫌で 嫌で 嫌で

優しいお母さんになりたくてなりたくて。


自分を変えたくて、変えたくて

路頭に迷いこんだ日々を過ごした


48歳  メグセレです。



心の勉強をしても うまくいかず

逆に自己嫌悪に陥り

路頭に迷いこんでいた私に

転機が訪れたのは

一年半くらいまえから。

まずは生理的欲求への、我慢をやめて

小さな欲を叶えてあげることを始めました。





(トイレ行きたい。とか、

眠いとき寝る。とか

食べたい時に食べる。とか

やりたい習い事やる。とか

行きたいとこ行く。とか、

やりたくないことは引き受けない。とか、

引き受けたあとでも、断る。とか、

食べたいものだけ食べる。とか、)




本当に小さなことなんだけど、

自分の欲に

気づくたび 叶えてあげてみた。








やりたくないことは 少しずつやめて


やりたいけど怖いことを 少しずつ始め、






Instagramを始め

たくさんの出逢いがあり

たくさんの気づきに出逢い



本当の自分の欲を思い出すために

少しずつ少しずつ自分をさらして

(自分のやりたいことを叶えて)いきました。



下手だけど

大好きな絵を投稿したり

↓1番最初にInstagram投稿した絵


ステージで歌う願望を叶えたり

↓のど自慢予選参加


↓地区のお祭りでカラオケ参加

おいおいイキナリどうしたの?

おいおい何者?

おいおい下手な絵だなニヤニヤ

おいおい自撮りかよ(゜o゜)\(-_-)って

突っ込まれる恐怖
(自分自身が一番突っ込んでいた気がする)

に震えながらも

投稿したい‼️と思う自分の欲のままに

行動してみた。



↓Instagramでアカペラで熱唱動画投稿




いやー。

どうしたの?って

さすがに聞かれるようになったよね。





でも、効果絶大だった。


震えるほどの投稿を

繰り返しているうちに 不思議と

自分のことがわかるようになってきた。











自由にしたい。



自分を責めず。

ひらめきのままに生きたい。

今までの目標は

『優しくて穏やかで素敵なお母さん』

だったから、

真逆を選ぶことに葛藤が出たけれど、





よくよく考えてみた。










私を選んで生まれてきてくれた

大切な4人の子どもたち。







自分を幸せに出来ていない今の私に、

一体、何ができるというのだろう。










無責任だけど

本当 無責任だけど。





普通こんなことしないと思うし 

今までの自分なら

絶対やらないことだけど、

『自分を幸せにすることを叶える』ために

家を出る決意をしました。









もしもこの行動が間違っているなら




神様からストップがかかるはず。




そう言い聞かせて飛んでみた。(バンジーのように)








まだこれから先が

どうなるかなんて全くわからない。

どうなるかなんて全く見えてないけれど

『自分を信じて生きる』と決めたら

怖さがなくなった。





間違っててもいい。







このまま自分を殺して生きるより

自分を不自由にしたまま暮らしていくより

たとえ間違いだとしても

やってみます。





そう思って

私は私のために動き出しました。






閃きのままに

行動してみます。





自分が信じる仲間
(こうゆう生き方をしたいおねがいと憧れる人たち)
の生き方を真似してみよう。と思ってる。








振り返ってみると


自分を生きることが出来ていたあの瞬間の私。

(旦那と付き合い始めたときも)

欲を殺さず 素直に生きた あの瞬間の私。

(結婚したいと思ったときも)



あの瞬間も(子どもが欲しいと思ったときも)

あの瞬間も(家を出ると決めたときも)

思えば 思い通りに叶えてきているじゃないか!

フツフツと甦ってきた。

全て決めてきてるじゃないか!






欲を出したからこそ うまくいった  ?! アセアセ?


やると決めたら叶ってるじゃないか!


うわ。そうだったのか。





大人にならなきゃと思って
自分を押し殺して生きてきた。





自分が選んだ道なんだから

それを守り続けること こそが

責任持つ大人の行動だと思っていた。




自分のやりたいことを我慢し
苦手な事でも頑張り
いかに安心安全に暮らせるか

いかに人に嫌われないか



手の届く範囲内で仕事を探し

馬鹿にされても我慢をし

笑いたくないのにうすら笑いを浮かべ

上辺だけの付き合いをしてきた時もあった。




本音を言える人は少なく

たまに本音が出ると慌てて弁解したり

嫌われることをさけたいと望み

うまく付き合うことだけ考えていた。





もう。自分のことすらわからない。

何で 毎日イライラするのか

何で 子どもに当たり散らすのか

何で 楽しくないのか



挙げ句の果てに、私は

私の性格が悪い と思っていた。



イライラしやすい性格だから、そんな私が悪い。

これは病気だ。治らない。と思っていた。



でも、穏やかになりたくて

穏やかな人に憧れて

なりたくて なれなくて

なりたくて なれなくて

思えば思うほどに

さらにヒステリックになっていった。













今こうして書き綴っていることが

本当の私。






ここ数年、いや何十年も生きてきた

私の生き方だった。










本当にかわいそう。

旦那も子どもたちも 本当にかわいそう。

ずっとずっとヒステリックに生きてて

本当にごめんなさい。






今までの私のまま

抑圧したままの私のままでも

親として妻として

共に生活していこうとしてくれた家族に

ありがたさと申し訳なさで涙がでる。







でもね今の私は

自分を幸せにするのは自分だと思ってる。

自分を幸せにできるのは自分だけだと思ってる。

子どもたちにも

それを伝えたいし、

自分を生きて欲しいと願います。
















だから決意した。

私は私の欲を叶える。







そして、楽しく生きて良いんだよって

証明してみせるよ。











本音で生きます。






メグセレ