今私が読んでいる本の一節を紹介します。

著者は東大の物理学科出身、筑波大の教授だったという背景です。また植物の考えていることを受け取れるようになったということです。

 

それで、明治神宮の大スダジイから、地球規模の環境問題は物質的な面だけでなく、見えない世界の面でも深刻だから早く気づけ、行動しろという趣旨のことを受け取ったのでこの本を書いたとあります。植物の話が受け取れる人のエッセイとして読んでも楽しいのですが、びっくりしたのは次です。ちなみになぜこの内容が出てきたのか道理は一切書いてありません。

 

 

「人間が地上で活動するためには霊的なエネルギーと肉体のエネルギーの両方を必要とする。

 

  人間の魂の、つまり霊的な活動エネルギーは、寝ている時に魂を分離して、霊太陽からエネルギーをもらうことで補給することになっている。

 

一方、肉体は、地上で食べ物や水を摂ることで活動エネルギーを補給する。肉を食べても、その動物は植物を餌としているので、最終的には植物が集約しているエネルギーを食べている。

 

  植物自体にも魂があり、魂の方は、霊的な世界から直接エネルギーを得ている。そういうコンビネーションで回っているものを食べた時に、エネルギーが人間の体の中に入ってくる。」

 

「生命エネルギーとは、生きるエネルギー、あるいは、生きるためのエネルギーであると定義できるが、厳密にいうと、二つの種類がある。  一つは、魂が、自らの体を存在させようとするエネルギー、もう一つは、存在している体が生きるために使うエネルギーである。

 

  前者は、『存在エネルギー』、あるいは、存在のためのエネルギーともいうべきものであり、  自らが、自らの存在を、物質世界に作り出すためのエネルギーである。生物を生かそうとする意志そのもので、このエネルギーがなければ、生命はこの世界に存在することができない。さらに言えば、これは創造のエネルギーの一種でもある。

 

  科学の世界で言うエネルギーは、仕事をする力なので、この考え方でいけば、存在エネルギーが生き物を生かす〝仕事〟をすれば、それは少しずつ減っていくはずである。  すなわち、生きている間に存在エネルギーが少しずつ減っていって、無くなったときに、寿命が尽きて死を迎えるということである。裏返せば、このエネルギーは、寿命のエネルギーともいえるだろう

 

  後者は『活動エネルギー』ともいうべき、生きていくこと自体にかかわるエネルギーで、元気の源のようなものと言えばいいだろうか。生き生きとした生命の躍動感は、このエネルギーの表れである。  ちなみに、植物が自らの形を変えていくときは、前者のエネルギーが働く。一粒の種から、自分の体を作り出していくときには、『存在エネルギー』が関係するのだ。」

(『地球人のための超植物入門ー森の精が語る知られざる生命エネルギーの世界』(板野 肯三 著)より)

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著書の霊的なエネルギーとは、協生理論でいう「動力エネルギー」(意識を制御する、生命を帯びていない一般の電子から構成されるエネルギー)に相当するのでは。協生理論での「動力エネルギーは睡眠中に充電される」という表現と似ています。供給源が「霊的の太陽」か周囲の空気かという点は異なります。
 
 
また肉体の活動エネルギーとは、協生理論でいう「制御エネルギー」に該当するのでは。協生理論ては、食物を摂ることで、身体の構成物質と、生命を帯びている電子から構成されるエネルギーを摂る。制御エネルギーは身体(臓器、細胞等)の意識を制御し、それらの機能維持、修復に寄与するとあります。