"言語"といえば、我々が使う日本語には"言霊"という言葉が有りますが、Wikipediaによりますとその意味とは


「一般的には言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと…
 声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた」


とありました。

では、この"良い言葉"や"不吉な言葉"とは一体どのようなものを意味するのでしょうか?

例えば、斎藤一人さんの動画で出会った素晴らしいお話の中に


「『付いてる!嬉しい!楽しい!幸せ!有難う!感謝してます!許します』と繰り返すだけで人は幸せになれる」


とお話しされているのを拝見したことがありました。


それ以来私もこの言葉を氏からの"贈り物"として日々の生活の中で実践するようになり、大変有効的な習慣であると実感しております。

なので、氏がお話されておられたように、この様な言葉が"良い言葉"であるのは勿論大いに共鳴しておりますが


このブログでは、私がセラピーに於いて学んできた事の観点から考察してみたいと思います。


先ず私の初回のセラピーでは、夢分析に入る前に一枚の絵を見せられました。

その絵は一見すると馬に見えたのですが、上下をひっくり返せば女性の顔にも見える所謂トリックアートの絵でした。

そしてそのネタばらしを聞いた後、セラピストから

要は何事に於いても、一つの視点からだけではその本質を捉えることは出来ないものだ、ということを忘れないでいて下さい

と言われました。

そしていよいよ精神分析に入りながら


精神分析学的見知からも、普段我々が語る言語には対極する二つのものが有るとされている

 

と知っていったのですが、それ等とは


我々の人格に元から存在する"本来の自分自身"から語る言語

 

とその対極にある
 

自身の生い立ちに影響してきた"他者の人格によるコピー"から語らされる言語

 

の二つを意味し、セラピーでは

 

"自らの本心"から語る言語を「主の語らい」と称し
 

"他者のコピー"によって無意識に語らされる言語を「他者の語らい

 

と称すると教わりました。

 

そしてそんな"他者"の中でも"最たる存在"となってくるのはやはり


"自分を養育してきた親"ということになる訳ですが…

その影響力たるものが、はなはだ甚大である

 

ということも思い知ることとなっていったのです。

と申しますのも…

親から受ける養育期に於いて親との間に何らかの障害が有った場合

 

その際に親から被った言語こそがその親から自身の精神に刻み込まれた"PTSD(心的外傷)" の根源となるものであり

 

その心の傷はやがてコンプレックス(劣等感)となって自身の心の中に根付いてしまいます。

また厄介なことに…

 

そんな心の傷と共に自らの精神に刻み込まれたその「他者の語らいの言語は、心に根付いてしまったコンプレックスに突き動かされることにより"無意識の領域"の中で発せられているが為に

日々の生活の中で我々が語っている言葉が「主の語らい」から発したものなの

 

それとも実は自らの精神に刻み込まれた「他者の語らい」によるものなのか

 

自らで判断することが極めて困難であり、更には同時に…

 

その人の心が「他者の語らい」のよる言語に支配されている心の割合が大きければ大きいほど

 

主の語らい」による言語は深い深い"無意識の闇"へと葬り去られてしまい

 

それが終には分裂症の発症の引き金となってしまうことにもなりかねないという訳なのだそうなのです。


スイスの精神科医であり心理学者でもあったカール・グスタフ・ユング

 

夢は無意識、特に集合的無意識あるいは元型から意識に向けてのメッセージである

 

と捉え、彼が提唱した夢分析とは

 

対話などを通じて夢からもたらされるさまざまなイメージおよびその持つ意味などを膨らませ、意識と夢(ひいては無意識)とのつながりを再構築し深めてゆく、といった作業であり

 

これは無意識からのメッセージと向き合うことによって自己実現に至るための方法である(Wikipedia参照)」

 

とされています。

そして私が受診してきた"夢分析"の具体的な実践内容とは

先ずクライアントが見てきた夢について、クライアント自身からセラピストへその内容の報告をします。

次にその内容に対してセラピストから質疑応答を受けながら

 

クライアントから語られる言語とその意図との関係性に対して客観的分析を受けることで、心的外傷の原因となった"他者の語い"を明確に"言語化"していくことにより

 

それまで心の底に蓋をしていたコンプレックスを顕在化させます。

仕上げに、顕在化されたコンプレックスからその"背中合わせ"にある"主の語らい"を言語化させていくことによって

 

心の底に眠らせてきた「"本来の自分"の"欲望"とは如何なるものであったのかをセラピストと共に考察していきつつ

 

クライアント自身がそのコンプレックスと如何に向き合っていくべきかについてセラピストから助言を受けていく。

といったものでした。

つまり、以上の様なセラピストとの交流による夢分析を媒介として

 

自分自身が日々の生活の中で語る言葉や言動が「主の語らい」によるものなのか、それとも「他者の語らい」に突き動かされたものなのかを分別していくことによって

先ずは親から受けてきた養育環境のなかで自分がどのような"心の傷"を負わされてきたのかを知ることになり

更にはそれまで決して語ることが叶わなかった"心の叫び"を浮き彫りにすることができたのです。