《2010.8.28.の夢》
旧友の宮田(仮名)とバスケットボールの1対1ゲームをしている。
すると突然宮田は凄い力で私を羽交い締めにしてきて私は中々それを外せない。
《2010.8.28.の夢分析》
宮田は元々小学生の頃から交友が始まった同輩の仲の一人でした。
家が近所だったこともあり、中学生の頃からは部活動や学習塾を共にしながら親交が深まっていくと、それは成人してからも暫くは続いていきました。
付き合い初めから一貫して学業優秀な上にスポーツ万能でもあり、何かに於いて人並外れた才能を見せては溢れ出すその自信に満ちた貫禄に加え
嫌味なまでに整った顔立ちから醸し出された人当たりの良い色気が、周りからの人望を強烈に引き付けては常に学校のスターであり続けていた宮田の存在は
身近な友人であると共にライバルでもあったはずの私にとっても眩しく輝きながら常に羨望と憧憬の情を掻き立てたものでしたが
反面、私にとってはそんな彼の輝かしい実態に返り見る凡庸に過ぎなかった我身の儚さを、思春期の多感な日々の中で呪いの如く思い知らされることもやはり多々有り
少なくとも私にとってはそんな複雑な感情の柵(しがらみ)に絡まれ繋がっていた様な間柄であった中学生時分のある日、宮田は唐突に
「フロイトの話が凄い」
と私に話したことが有りました。
そして性的活動を発展させる力である"リビドー"こそが、全ての人間活動の根源となるものであるといったような主旨のことを説いたというオーストリアの精神科医、ジークムント・フロイトの理論について語り始めたのです。
されどセラピーと出会う15年も前の、心理学や精神分析学が何たるかなど露も知らず
そんな宮田の熱く語る話にまるで素っ頓狂な調子であった私は、まだ"性"という響きに悪戯に反応するに過ぎない稚拙さしか持ち合わせてもいませんでしたが
只何故彼が唐突にそんな話を初めたのかという点に関しては、当時の私なりに思い当たる節を有しておりました。
というのも学校生活では学級委員長のポストを常任させられていた宮田でしたが、その実、優秀ではあっても優等生というには程遠く
まだ未成年であったこの頃から夜遅くになると、度々一軒家の彼の自室に (当時から堅物であった私を除く) お決まりの面子で集まれば
親の目を盗みながら喫煙はするわ、クラスメイトの女学生を部屋に連れ込むわといった調子で、普段の"出来過ぎ君"を地でいくかのような一面とはかけ離れた私生活での実態であったのですが
とはいえ普段では何一つ悪びれていた風ではなかった宮田の素性を傍で見続けていた私にしてみれば、当時の彼のそんな実態が別段荒んでいた訳などによるものとは思い当たる節も無く
只々彼の旺盛な先天的バイタリティに直結していたのであろう"リビドー"とやらに突き動かされ起こした所業であるに違いないなどと見受けていたのです。
只それが故にそんなフロイトの言葉に好き放題であった当時の彼自身の生き様の正統性を見出したことで、是良しとばかりに傾倒していったのであろうなどという浅はかで嫉妬半分の皮肉めいた解釈しか出来なかった当時の私にはまだ
彼が私に語ったそんな話しに込めた"真意"を伺い知ることは叶いませんでした。
その後宮田と私が共に一浪の末に大学進学を決め、宮田の両親や仲間内の連中と共に居酒屋にて慰労会が開かれた時のことでした。
宮田は当然の様に最難関校のひとつであった某旧帝国大学に合格し、その夜は普段口数が少なく感情を表に出さない彼の父親も大いに喜びを顕にしていたのですが
そんな一夜にアルコールが進んだ宮田は、先ず地方私立大学進学という不本意な結果に意気消沈の意を隠し切れずにいた私にこれまでの私の怠惰を連ね挙げてきたのです。
それまで私との優劣に関してなど殆ど口にしてこなかった宮田から最終学歴を決定付けられたその場にて、唐突にしてはっきりそれを言葉にされた私はこのとき悔しさよりも
酒の上のこととはいえど私の私情等何と思ってのことか、そんな無情なことを初めて口走った彼の意外性に面食らってしまったのですが
更に店を出た後には、へべれけの千鳥足を進めながら通りすがりのビジネスマン達を横目に
「ネクタイ締めて背広着てて偉そうに、いちサラリーマンがなんぼのもんじゃ!」
等と謂れ無き悪態を吐き散らす始末であった宮田の乱れ様を目の当たりにしながらも
この時の私はまだ、何か積年の恨みでも吐き出すかのようですらあった宮田のこれまでの心情を察し切れずにいたのですが
そんな"荒れた晴れ舞台"を機と見るかのようにして、宮田の行く末に暗雲が立ち込め始めてきたのです。
先ずはそれから間も無くのことでしたが、彼の一家が我が家の近所に在った持ち家を離れ、隣町のマンションへ引っ越したとの知らせを仲間内の友人から受けました。
繊維物の仕立て業を個人で営んでいた彼の父親が、商売に行き詰り持ち家を手放すこととなったらしいとの経緯を後に知り
私はそんな告し難い事情故に、宮田本人から何の音沙汰も無いままの離別となったのかと察しながらも
それにしても余りに突然であったことに加え、よりによってどの仲間内よりも近所に存していた私だけに一言の知らせも無いまま離れて行った宮田の心中を勘ぐれば
やりたい放題であった彼にとって、親に隠れての夜遊びなどには殆ど付き合うことが無かった私の存在等は所詮その程度のものだったのであろうかと失意を覚えもしました。
只ある日突然訪れたこの一件以降も、偶に届く仲間内からの連絡を介し宮田との交遊は性懲りも無く続いていったのですが
久しく会えば女性関係の話での他愛も無い冗談で仲間内との一発触発の事態を起こすなど、次第に宮田の言動に刺々しさが顕になり始め
更にはその仲間内から運転免許取得のためと何十万円もの金を借りておきながら、何時になっても返済の意思すら見せぬままやり過ごすといった始末を耳にするまでになってきた最中のある日、突然その仲間内から"集合"が掛かかったのです。
聞けば宮田がとある宗教団体で出会った女性を妊娠させ、その団体メンバーの男から中絶手術の費用やら慰謝料やらの支払いを強要されているとかで
とある公園に呼び出されたその男との会談の顛末を集まった私達で、傍観の体で監視しておいて欲しいとの要望を宮田から受けたとのことでした。
結局私を始め4人の連中が首を揃え、少し距離を置いた傍から様子を覗いつつ、約束の場に一人で現れ数十分の会話にて案の定金銭の要求に至った男をその場で取り押さえ、そのまま警察署に連行し事無きを得たのですが
署を出る際には、妊娠の件が真実なら今後は民事の管轄になるので責任をもって対応しなさい等と逆に警察から釘を刺された宮田と別れ暫くが経つと
宮田の一家が再び私に音沙汰の無いまま、今度は県外のとある町まで移り去っていった挙句に両親が離婚に至り、家族はバラバラに離散したらしいことをまたしても仲間内から後日になって知らされ
終にはそれ以降仲間内からも一切の音沙汰が途絶えたまま数年が過ぎていくこととなりました。
結局そんな宮田と最後の再会となったのは、ロクな就活もせぬまま大学を卒業し、父の製靴会社に転がり込んで間も無かった私を突然宮田が単身にて訪ねて来たときのことでした。
そして何の前触れも無く、如何に辿り着いたのかも察し得なかった父の会社に姿を現した宮田と再会した私は、そのときの余りに異様に覗えた彼の言動振りに絶句しました。
というのも、長らくご無沙汰であった挨拶も適当に流し、只父の会社や其処に勤める私の様子を見廻していた宮田の不自然で病人の様に鈍い動きと虚ろな目つきが私に"薬"を直感させたからでした。
そして宮田のそんな変わり様に激しく動揺する想いを抑え込みながらも、なんとかこれまでの経緯などを訊ねようと振り絞る会話はほとんど噛み合わず、そんな私に構う節も無かった宮田は自身の身上に等何一つ触れぬまま
「実は良い儲け話が有る」
と告げてきたのです。
しかし嘗ての幼馴染の余りの"崩れ様"と、その口から唐突に放たれた怪しい一言に最早動揺が隠し切れずにいたのであろう私の様子を窺ってか、その後宮田がその詳細を語ることは有りませんでした。
結局その後も終始会話は噛み合わぬまま、どんな別れ際であったのかすらも思い出せぬ白昼夢の様であったその再会は、まるで宮田が“魂の抜け殻“と化した自身の現状を私に見せに来たかのように感じられたまま過ぎ去っていったのですが
只一つ、宮田が私に”得体の知れぬ儲け話”を持ち掛けようとしたとき、私にはその言葉と共に宮田が私に向けた一瞬の揺ぎ無い視線の奥に"怨念"の様な力が感じられたのです。
そしてそんな直感に刺激されては、学生時代から抱いてきたある想いが私の胸中から掘り返されて来たのですが
それは、私と宮田がそれぞれに抱えていた父親との関係性に於ける葛藤に端を発するものでありました。
宮田の父親は自宅の一室を仕事場として自営業を営んでいたため、平日の放課後に宮田の家を訪ねると概ねは仕事をしている彼の姿を見たものでしたが
思い返せばそんな宮田家を十歳の頃から度々通うようになっていた私に、そんな宮田の父親から話し掛けかれた記憶は殆ど有りませんでした。
決して頑なな職人気質という訳ではなかったと思うのですが、微かに肉声の記憶を残しているに過ぎなかった程に寡黙な人柄ではあったものの
立派な一軒家に妻と三人の子供と自身の母親、そして二匹のシェパードを加えた家族形成を成していた父親に対して、私と同じ長男であると共に一人息子でもあった宮田自身がどういう想いを抱いていたのか…
中高生当時に仲間内で交わしたお互いの父親についての会話に於いても、宮田からは自身の父親について何等語っていた記憶は特に無く、私自身それまでそんな宮田と彼の父親との関係性に特別な想いが及ぶことも無かったのですが
只宮田が某旧帝国大学に合格し共に祝ったあの夜、その場に同席していた私には、親としての誇りというよりも寧(むし)ろ、彼自身が”息子の大成”という大きな精神的支えを得た安堵の表情の様に感じられた笑顔を見せていた宮田の父は
結局その後間も無くして自らの事業を畳むと、持ち家を手放し、住み慣れた街を去って行った挙句に家庭すらも崩壊させてしまったのです。
そしてそれ以降、それまでの栄光の道を転がり落ちるかのような生き様を経て来た宮田が、何故これが最後となるやも知れぬ私との再会の場に通い慣れた私の自宅ではなく
それまで訪れたことも無かった筈であった私の父の会社を選んで来たのかに想いを馳せれば
その疑問はこの日の再会の機に宮田が私に向けたあの”眼差し”に回帰するのでした。
根っからの商売人気質であり、自らが赴くままに人をもてなすことを趣味としていたような私の父は、私が幼いころから宮田を始めとしたこの仲間内の面子を釣りやレジャーに連れて行ったり
自身の商売が最盛期の最中にあった頃などは、会社員の為の福利施設として購入した海の別荘をまだ学生の身であった私達に解放し、これも社会勉強とばかりにクルーザーやマリンジェットに乗せては豪遊体験をさせたりと
子育てにはまるで無関心の様であった宮田の父親とは対照的な父親像を演じるかの如く、息子の人間関係に積極的に関わろうとしてきましたが
只私にしてみれば、そんな私の父からの一方的なもてなしを受けることで、自らの父親の“消極振り“を返り見ることを強いられることになる宮田が失意の念を持っていても無理の無かったことだろうと…
更にはそんな想いが嫉妬へと変わり、彼の心を蝕み続けてきてしまったのではなかったのかという思いを持て余してこざるを得ない実情も有ったのです。
彼の眼には依然として隆盛を極めていたかのように映ったのであろう私の父に…
またそんな父親からの恩恵を受け、会社や社会からさぞや持てはやされていたかのように映ったのであろう幼馴染の私に…
増してあのプライドの高かった宮田のことです。
そんな想いを決して周りに悟られぬようにその心の奥底に直隠しにせんと一人悩み
それ故に私と共に育った町を去ったとき、私にだけにはその経緯を伝えることが出来なかったのかとの疑念も燻(くすぶ)らせてきました。
只実際には…
既にバブル景気は弾け失せ、無念にもその煽りを受けては空前の灯と化していた父の元で事業を再建させるどころか
余りの無能振りに何処の部署にも定着できぬまま、絵に描いた様な"ボンクラ二世"として飼い殺しのように持て余されていた実情であった当時の私も、既に主体性等を欠損した"魂の抜け殻"と化していたのです。
そんな事情も露知らずに現れた宮田から、私との再会の真の目的であったのであろう怪し気な儲け話の誘い文句を投げ掛けられたとき
私はこれまでに私自身が抱いてきた”サウンドプロデュースの大成”という根拠無き執着心の陰に潜む"不甲斐無き信念"を、そんな事情等知る由も無かったはずの宮田に見透かされた様な強迫観念に捉われました。
何故なら、結局内容の詳細までを語るに及ばぬまま放ち残された、宮田からの勧誘の一言と共に向けられた”あの眼差し”が
『所詮職業の選択も出来ぬ脛かじりの"お前"が、何をしようとも大成等する訳が無い』
と、それまで散々自らにぶつけ続けてきた私自身のコンプレックスを投影するかの様に私の内心に訴え掛けてきたからだったのです。
そしてそれから15年間の月日が流れ…
受診していた今回の夢分析の数週間前に、私は自作楽曲のデモ制作に失敗していました。
オリジナル曲のレコーディングを試みていたのですが、連日の日銭稼ぎのための“宮使え“と制作活動のダブルヘッダーによるハードワークに体調を崩し
DTM作曲を教わっていた音大教師にレコーディングの協力を貰うアポイントを取っていた当日には声も満足に出ぬ状況に見舞われたばかりか
更に信じがたいことに、この日の為に予めパソコンにデータ入力しておいた作曲ソフトがまさかの原因不明でまともに作動しないという有り得ない事態が重なり
結局それから今回の分析の日に至るまで、再開の目途が立たぬままやり過ごさぬを得ない状況が続いていたのです。
そして今回のセラピーにてその報告をすると、セラピストから以下の様に分析を受けました。
「それは光輝さんの心に潜む”社会に出ていくことへの恐怖心”が成したことです。
光輝さんが何か行動を起こそうとすると、必ず条件反射の様に『どうせ自分にそんなことは無理だ』という思いに囚われてしまい
それが“無意識の反動形成“となって現象化し、光輝さんの一貫性を破壊しようとする訳ですが
そもそもそれは光輝さんが"ベーシックトラスト"を欠損していることによるもので
その欠損が”社会に対する不信感”となり、御自身が社会に出ていくことにブレーキを掛ける恐怖心を抱かせる原因となっているんですよ」
※「ベーシックトラストとは、英語で『basic trust』、『基本的信頼』と訳されています。
自分自身は、かけがいの無い愛されている存在であり、なにか障害あってもきっと乗り切っていけると想う感情のことです。
条件付き承認とは無関係に無条件で自分はOKだと思えるということです。
つまり”自分の存在そのものを肯定する力”です。
この感情が欠けているとネガティブ感情に常に囚われ行動が阻害され、新しいことに挑戦できなくなったりします。
そして心理学用語では、”人を信頼できる能力(基礎的人間関係)”という意味となります。
人間関係にも影響してしまう、それが『ベーシックトラスト』です。」
(茂木健一郎氏/「過信」のススメ~「ベーシックトラスト」とエリクソン8つの「心理社会的発達課題より」
この"ベーシックトラスト"という言葉をセラピストから聞き、私は今回の夢に宮田が出てきたことが腑に落ちました。
というのも、私と宮田が中学へ進学し親交が深まっていくと、お互いの親同士も親交を深め始めていったのですが
それからというもの私の母は、何かにつけて宮田を私との比較対象に挙げるようになっていったからです。
共にバスケットボール部へ入部すればチームで只一人市の選抜選手に選ばれ
学業に於いては、国内最高レベルの旧帝大への進学を勝ち取ることとなった宮田を超えんという母の要求に応えんとするかの如く
当時の私は、連日閉門ぎりぎりまで続いた部活動の後に通う宮田に誘われ入った週二回の学習塾に加え
それでも足らぬと息巻く母によって、何処から紹介を受けたのかも知れぬ家庭教師を、私本人の意向も関係無しにある日から突然週二回のペースで付けられ
自由時間も睡眠時間すら削られては心身共に限界ギリギリの状態でありました。
そんな挙句に無理をして入ったエリート集団の学習塾にて、結局一年も持たずして落ちこぼれ劣等生のレッテルを張られたまま退塾を余儀なくされては大きな劣等感に傷心し
やがて嘗ては唯一私が勝っていた腕相撲でさえ気付けば勝てなくなってしまうと、学生生活に於ける全てのことで宮田に完敗を喫することとなったまま
中学卒業後には当然のように学区内トップの進学高校へと勝ち逃げしていった宮田と離別することとなりました。
そして高校卒業後には共に一年の浪人時代を経ての大学受験を終え、全ての結果が曝け出され絶望の淵に叩き落とされた私を待っていたのは
「お母さんだって情けないわ!」
という母の“止めの一言“だったのです。
五人兄弟の長女として生を受けた私の母は、幼少期からの貧困生活を通して両親から人並の教育は疎(おろ)か
病弱であった両親の代わりとして家族を養うことまでもを強いられてきたが故に、一人の娘として生きんとする為に当然不可欠であったはずのまともな養育も与えられぬまま成長し
結婚後には歪(いびつ)なまでの敬老思想や不条理な男尊女卑を平然と謳う“歪んだ儒教精神“に根付くかの如く亭主関白であった父からパートナーとしての
また“自立した女性“としての承認すらも受けるに叶わぬという不遇な生き様を強いられてきた女性でした。
そしてそんな母は…
漫画家や音楽アーティストになることを夢見ながらも、当時まだ週休一日であった"詰め込み教育"に加え
激しい練習と暴虐な先輩連中との縦関係に支配された部活動への完全参加を強いた皆目不可解な校則に苦しむ我が子の本心や個性等とはろくに向き合おうともせぬまま
まるで無学であった己自身が囚われてきたコンプレックスを一人息子の私に背負わせるかの如く、偶々出会った"宮田"という偏差値社会にマッチングした天性の資質をそのまま我が子に求めてきたのです。
そしてそんな欠損だらけであった母の養育によって自らのベーシックトラストを完膚無きまでに破壊されてきた私は、やがて"宮田との出会い"を怨むようになり
更にはそんな宿命を持って生を受けた不甲斐無き自らの存在自体を怨み憎むようさえなっていきました。
「男性がベーシックトラストを獲得するためには、先ず幼少期に親から"オールOK"や"承認と賞賛"の養育を受けることでしっかり"主体性"を育んだ上で
青年期に於いて父親から『お前の母は私の妻だ、いつまでも母に甘えておらずこれからは自分の配偶者を獲得していけ』と諭す"象徴的去勢"を受けることで、"個としての自立心"を確立していくことが必要なんですが
実際セラピーを受けずしてそんな完璧な子育てが出来る親はいません。
その結果として人は未熟な親から欠損だらけの養育を受けて育ち、星の数のような心の傷を負いながら成長すると
今度は自らが受けるに叶わなかった完璧な養育への羨望やその欠損への怒りや悲しみに翻弄されながら、自力による我が子の子育てと向き合うことになるんです。
つまり"子育て"とはまさにそんな自身が親から負わされた心の傷を穿(ほじく)り返しながら挑むようなものなんですよ。
だからこそ我が子にベーシックトラストの確立を促すための正しい子育てを施すには、先ず親が"人の精神の成り立ち"とは如何なるものかを学び
その上で夢分析を基盤としたセラピーを受けることで、自らの精神に潜在化したコンプレックスとしっかり向き合っていくことが必要なんです。」
セラピストからのそんな話を受けると結局私は、自身と母との関係性の先に身を隠しながらも“影の支配者“として君臨してきた“父の存在“に回帰していきます。
宮田の父親とは表面的な印象は異なれど、独り善がりなもてなしには長けていた私の父も長男である私の成人を機に自身が起こしたビジネスを破綻に追い込み
それ以降に試みた再建に於いては私に何の承諾も無いままに、まだ社会に出て間も無かった無傷な私の社会的信用を盾にして
茨に塗れた道を突き進みながら”息子への依存の余生”を選んだという点に関しては、宮田の父親と完全に同じ人格者でありました。
一方、私の母と一時は姉妹の様に親交していた宮田の母親とはユーモアに溢れた大変快活な女性で、宮田家に遊びに行けばいつも漫才の様なやり取りを見せていた宮田との母子関係は一見頗(すこぶ)る良好に見え、当時の私には羨ましくさえ思えたほどでしたが
只そんな仲睦まじく映った彼等の精神的距離は時として異様なほどに緊密なものに感じられもし、そんな母子から遠い先に、やはりあの“寡黙な父親“の存在がありました。
息子の成人を機に早々と自らの人生を幕引き仕様とした私達の父達は共に
そんな自身の生き様の顛末として、真の男性性の形成に必要となる"自らの欲望の言語化"に及ばなかった彼ら自身の実情を曝け出すこととなりましたが
と同時に、自らの人生のパートナーである妻をも一人の”自立した人格者”として認めることすら叶わなかったばかりに済まず
終には、彼ら自身が父親として課された“息子の成長に於ける象徴的去勢“をも果たすことは叶わなかったのです。
と同時にその結果として…
そんな父を人生の伴侶として選択した私の母は、"真の男性性"を欠損していた自身の夫への
更にはそんな男性を配偶者に選ぶような女性に自らを育て上げた自身の父親への怒りを"無意識の闇”へと葬り去った挙句に
自らが宿した子供達にその自らの”無意識の破壊衝動”と化した"認識無き怒り"を代弁させるべく、我が子の主体性を”母との精神的一体化”へと飲み込んでいくことによって
夫への、そして自身の父親への"復讐"へと向かって生きる人生を送ることとなりました。
成長に従い母を離れ父へと同化していくという、本来あるべき男性像の真逆を突き進むかの様であった宮田とその一家が、我が家と共に過ごした町を離れてから一体何があったのか
それ以降宮田家との親交が途絶えた私には最早知る由も有りませんが
唯一はっきりしていたことは、大学受験を終え充実感の極みにいたはずの宮田の、それ以降の荒(すさ)み様でした。
そして元々クールでありながら歳を重ねるにつけて顕になっていった宮田の刺々しさは、私には"傲慢さ"というよりもやはり"怒り"に伺えたのです。
それは幼いころから特別な趣味を持つことも無ければ将来の夢について熱く語ることも無く成長し
挙句には自らの父親と同じように、自らの真の欲望を言語化出来ぬまま、その怒りを無意識の闇へと葬り去って来ざるを得なかった宮田自身の過去と
更には、そんな自らの“無意識の怒りの顕在化“を止めていたものが何なのかを突き止めるに至れずにいたが故に
その後には、共に自らの欲望と向き合えなかった両親が”共依存“の末に引き起こすことになる家庭崩壊という結末に突き進んでいくしかなかった将来に…
今にして思い返せば、宮田がこれまであれ程女性に対して強い執着心を持ち数々の不埒を重ねてきたのはまるで、自身を"息子"としてではなく、不甲斐無い父の代わりとすべく"自分に都合の良い男"として育て上げようとした”母親への復讐"であったかの様であり
父として、家族の"核"となるために必要不可欠な“自らの欲望を言語化”が叶わなかった"父親への復讐“であったかの如く
宮田自身が職業の選択を放棄した挙句に、自らの人生をも破壊していくことになったのではなかったのかと私には思えてならず
そんな自暴自棄に走った宮田は、結局私達父子に嫉妬していたことなどよりも深く、自身を飲み込まんとする母を断つ象徴的去勢の為の言語を欠損していた自らの父に絶望していたのだろうと…
故にそんな自身の置かれた養育の環境を暗にでも危惧した挙句に、自らの意志を持って"母との一体化"を断ち切ることの真意を説いたフロイトの理論に救いの光を見出し掛けていたのではなかったのかとあの幼き日を振り返るのです。
「精神分析の真価に気付いていた幼馴染の彼は"洞察力"の象徴であり夢に出てくる人物は全て自分自身なので
そんな彼が夢に出てきたということはその分析を現在受けている光輝さん自身もそんな彼と同じ洞察力を潜在的に持っているということを意味しますが
只それを使わないでいると"その後の彼"のように、父への復讐に生きる"母との一体化"に飲み込まれてしまうことになると訴えながら
夢の中の彼はそんな危険性のある光輝さんにしがみついて止めてくれているんですよ」
最後にセラピストから今回の夢に出てきた宮田の存在に対しこう分析受けましたが
実際、自身の父親への復讐の人生を選び家庭崩壊へと突き進んだ"共依存"の両親の元に二人の妹を持つ一人息子の長男として生を受け
お互いに負わされてきた"不甲斐無き宿命"を曝け出し合うかの様に交錯しながら私と宮田は共に成長してきました。
そしてそんな挙句に宮田が最後に私に晒した惨状は、正に親から精神的去勢を受けベーシックトラストを完膚無きまでに崩壊してきた”私そのもの“でした。
あの共に幼き日の宮田はそんな私の行く末の布石を打つかのように若き頃から私にフロイトの理論を伝えようとし
最後の再会を果たしたあの日からの数年後に奇跡的にもその精神分析と出会った私は
これまで自身に抱き続けてきた"怨念の正体”が実は、子である自分を"子"として育てることが出来なかった親へ向けるべきでありながらも
それが叶わぬが故に自らの無意識の"闇"へと抑圧するしかなかった"怒り"であったことを悟るに至りましたが
その後年に於いても尚、自らの欠損と向き合うことから逃げようとする私の夢に現れてさえ宮田は
これまで"怒り"に埋め尽くされて生きてきた如くであった私に一体化せんとばかりに私にしがみついてきながら訴えてきたのでした。
そんな自身が真に望んでいたものは学歴や栄光等よりも、何よりも先に
共に欠損し苦しんできた"揺ぎなき信頼(べーシックトラスト)"であったのだと叫ばんかの様に…
そしてそんな宮田が現在何処でどうしているのか…
全ての人脈が途絶え、その後の消息の確認すらも叶わなくなった今日の私は
自らの生き様を掛けてこのメッセージを残してくれた幼馴染ともしこの先再び再会することが叶うなら
その時こそ自分はこの幼馴染にどんな言葉を掛けることが出来るのだろうかと我が身を振り返るのです。