日曜日の夜中、あれから15年ですか・・ | テキトー親父NOBYのデイトレ日記みたいな

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70歳になった親父デイトレーダーの結末は・・・・・・
さてさて、どうなりますことやら・・・・・・

阪神・淡路大震災から15年ですか~、


あの大地震はオイラにとっても大きな通過点ではあった。


関西方面で、大きな事業を始めて、やっと軌道に乗りかけた3年目の事だったから・・・

その瞬間から開店休業状態に追い込まれた。

激震災害指定地域に認定されて、国からの補助資金が出たので、それを利用しながら何とかやりくりしたな~。

そうそう、その会社のスタッフ全員の安否が確認出来るまでに1カ月近くかかったのを記憶している。

運よく全員無事だったが、彼らの家族・親族には多くの犠牲者がかなりみえた。


やや落ち着いた頃に、オイラは神戸の街中を見て歩いていた。

あの光景は、今でも忘れられない。

オイラの仕事の現場も近くにあったし、

その関西の会社のメインバンクのひとつが神戸中心地にあったからだ。

だが、その銀行本店のビルも崩壊寸前で出入り禁止になっていた。


街中には、出入り禁止のビルばかりだった、ボランティアの人達が全国から集まりやっと人間らしさを取り戻しつつある頃かな。

普段なら駅から車で15分で行ける仮の銀行本店となった場所まで、約1時間はかかったと思う。

実際に見ている光景が、不思議に嘘の別の世界に見えていた。

こんな風に簡単になるんだ、と恐ろしさを痛感した。


余り思い出したくない事だが、やはり忘れてはいけない記憶だと思う。

あんな理不尽な事が、起きる時には天災として起きるんだ。

それでもオイラも会社も戦い、凌いで生き残っていく努力をしていった。


あの震災はオイラには、無縁ではない大きな試練だった。

凌いできたが、やはり体力はどんどん失われていき・・・・

あの関西での事業は、数年前にオイラの手を離れていった・・・


オイラのものではなくなったが、その現場は今でも別の方が継承して生きている。

クリエーターとしての作品が現存しているのは、幸せではあると思う。


この時期の話は本当にドラスティックなので、まともに書けば一冊の本になるでしょうね~。

あの震災に関わりあった全ての人は皆大きなモノを失ったんです。


オイラより年長の方々が戦争の思い出を忘れたい様に、オイラもあの震災の頃の出来事を忘れたい、と云う本音もありまする。


そうだな~、運が良い方でぃと云うのなら、月に何週間かその現場に居るオイラが、震災の当日は現場に行っていなかった事かな、

だから直接あの音やら振動やら火災やらを、見ないで済んでいる。


そういう事は、天の配剤だから、神のみぞ知る、って事です。

時のズレがあれば、オイラはこの世に居なかったかもしれない、って事ですか。


味わいたくないライブも、この世にはある訳です・・・・・


少し暗い話はおしまいです。


で、生きてるだけで丸儲けでぃ。


本日も大勢の訪問に感謝です。

では、どちら様も、お休みなさいませ。