オイラの様に普通ではない人生を送ってきた人はそんなに居ないとは思うが、今までの人生が余りにも多くのモノを背負って来たので、最近のこの身軽さに快適さを感じる、時には快感でもある。
例えば、次の日、その次の日、又その次の日も、なーんも予定がない、という生活。
これは働いていないと云う意味ではなくて、それなりに働いていますが、働き方が違いまする。
忙しくしていた頃ですが、会社に応接室が大・中・小と数部屋がありましたが、どの部屋にもオイラのお客様であった事が、普通にあった。
これは仕事自慢ではなくて、あんな生活をどうして出来ていたんだろう、と今思い返すとぞーとする。
1週間の内5日間新幹線に乗り、移動していたこともしばしばあった。
そうやって働いていた頃の、何というか感触というか、それは一種の狂気だと思える。
仕事をするのが好きなのではなく、それが生活そのものだった気がする。
あの頃を思うと良い仕事に恵まれていたし、そういう仕事しかやらなかった自分だからこそ続けられたのだと思う。
今忙しい、忙しいと云う人の行動を聞いてみると、オイラのその頃と比較するのに値もしない。
その程度の量や質で、大変忙しく働いていると、良く云うなー。疲れたとか、冗談言うなーと結構真剣に呆れてしまう。
稼ぎとして割に合わない、と簡単に云う人が多いが、
その程度では、お金はついてはこない、と云いたい。
世の中の働く重さが違う世界になった様だ。
そう主張するのが簡単に云える時代になっている様だ。
どうも死に物狂いで、みたいな言葉は死語の様だ。
光を見て、陰を見ようとしない。
光方ばかりを練習したがる。
だから人から陰へ追われる様な事があると、すぐにヘコむと嘆く。
頑張っている方には、とんでもないストレスがあるはず。
今の世の中では、そうでない方もストレスがあると同意語を使える風潮がある。
平和なのか、幸せなのか、それでいいのか、最近は良く分からない。
ブログでも少しキツイ思い入れがあるコメントを入れると、すぐにヘコむ、と書かれてしまう。その方に優しさがあるからコメントしているのに、どうもオイラの言動は気をつけないと間違って伝わってしまう。
やはり年のせいだろうなー、と思うしかない。
何か変な展開になってしまった。
人の事をどうのこうの云っている程オイラも偉くも賢くも楽でもないのだ。
そうだ、オイラが身軽になる、を信条とする話をするつもりだった。
で、今夜のNYに唐突に話題は変わる、
寄り付きから、上がってはいたが、現在は+117ドル辺りです。
ナスも+28と高いですね。
為替は@89.37円くらい。
何故高いのかは、本日はテレビも見ていないし情報もない。
経済ニュースは悪いニュースばかりで面倒なので書かない。
その中でも今夜はNYは奮戦中ですなー、何故?
NYが高ければ日本も悪くはないだろう、と明日に期待したいものだ。
決算相場と為替の影響受けやすい相場だが、NYが高いのは勿論悪い材料ではない。
現在の政治家には死に物狂いで働く姿が感じられない。
中小の経営者や自営業者から、普通に働いている方々はすでに仕事があるや否やで、死に物狂いになりつつあるのに、どうしたものか。
それを見て育つ若い方は、どう受け止めていくのだろうか。
今の若い方達は、オイラの時代とは違うタフさを生まれながら持っている、と感じているので大丈夫だと信じてはいる。
何だか良くは分からなくなったので、もう止めて寝よう。
本日も大勢の訪問に感謝です。
では、どちら様もお休みなさいませ。
身軽さを信条とすべし、か・・・・・
まずはウエイトを落とさねばいかんな~・・・・ブツブツブツ。