音楽を聴きながら、書斎の押入れの中に埋もれていたBOXを二つ取り出してみる。
両方共に、昔のビデオテープがぎっしり詰まっている。
子供達の思い出のビデオもかなりある。
音楽のビデオテープもあり、何とエルビス、クラプトン、マドンナ、ビリージョエル、マイケルのジャパンツアー、ユーミン、サザン、浜省など彼等の初期のころの作品があるは、あるは。映画も何本か出てきた。
少し整理して綺麗に又収納した。
今度お目にかかるのはいつの事でしょうか、ねー。
退屈な日は、退屈に過ごす、のだ。
音楽は昨年のクリスマス頃にやった小田和正の「クリスマスの約束」を聞きながら、あれをやったり、これをやったりしていた。
本も読んでいた。
夢枕獏のサイコダイバーシリーズである。このシリーズは昭和59年からの長編シリーズである。
読者の希望としては、もう少し早く書いて貰いたいものだ。
彼はオイラとほぼ同年代だから、彼が生きている間には楽しめるかとは思っている。
昨年に読んだ「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」全4巻は素晴らしい傑作である。
で、オイラもこのサイコダイバーシリーズを読んでから、簡単なサイコダイブをオイラ自身の精神世界へ潜る技らしきものを会得した。
まー、そういう風に思いこんでいるだけなのかも、知れないが。
それは精神世界への旅の様なもので、瞑想するのに似ている所もあり、妄想をただ膨らませたりしているに似ている感覚でもある。
云いかえれば自己催眠なのかもしれない。
自己暗示ではない。心理テストでもない。
その時のあるがままの、自己の心のウチを探り、自分を分析してみたり、自分は何処へ行こうとしているのかを知りたい時にはこの技は使える。
又そこでは自分をとても客観的に見る事が冷静に出来る。
答えを見つけにいくのでは無く、感じにいき、ただ見てくるだけでいいのだ。
禅を組むのとは違う。何も考えない、無の境地を開こうというのではなく、もっと自分の中にある本当の自分を見つけてくれる作業みたいな、ものだ。
無意識の中の意識を求める、みたいな表現なら理解出来るだろうか。
そこで得て、感じてきた事は、行動としては、無作為の作為の謎を解く鍵になる。
どうして、そんな偉大な力を出せたんだろう、と振り返ると、行きつくところは、その方が持つ見えない力に行きつく。
死ぬんではと思うほど、考えて、考えて、行くと、必ず生まれいずるものがある。
精神力は強く思わなければ身についてはいかない。
そして、そうしたいと行動を継続しなければならない。
どれだけの失敗や挫折や困難があろうとも折れない心を持つには、それなりの訓練が必要なのだ。
つまりはそういう試練があって当たり前なのです。
それをどう乗り切るかは、いろんな方法がある。
自身で起き上がっていける人もいる。師匠や先生に教えられる人もいる、家族や友人が助けてくれる人もいる。
先人達の本で見つかる時もある。音楽が自分を後ろから押してくれる時もある。
この世に、不必要な存在等はないのだ。
退屈な時でも、何かしていればテーマは生まれてくる。
こういうなんでもない時に思い浮かんだ事が、実は自分が今一番の優先順位でしなければならない事だったり、する。
そんな風に思っていると、外はもう暗い。
さて、晩御飯を何とする。
あーあ、又ノーアイデアだなー。
では、夜遅くにでも又会いましょう。