フィリピンの国会中継でマルコスが言った「イメルダよ、私が大統領だ」との言葉は、実態を明らかにしてくれた。戒厳令を発布して21年間の独裁政治を敷いたが、影の軍師はイメルダだったようだ。渋谷の南平台に創建した比賠償団やODAに依る対比資金の約半分は、マルコス夫妻の懐に入った。また、政府関係者や資産家は、事故や事件を現金で簡単に揉み消せる時代である。町中では「マルコス、ツゥタ(犬)」の落書きが随所で見られた。マルコス独裁政権の長所は社会基盤の整備と近代化だと言われているが、実態を知らぬからそんな事が言えるのだ。

 平均年齢が25歳強であるから知らぬのは当然であるが、社会基盤を作るために何が行われたか。日本ではまず住民の合意が必要となり、それに伴う補償が義務化される。ところがマルコスの手法は全く違う。例えば夏の避暑地バギオの街を整備した時、貧困街や反対勢力の住む地域は不審者による放火で決着させた。勿論、犯人は見つからず迷宮入りだ。当然、着のみ着のままで焼け出された住民への手当はするが、正規の補償金に比べればはるかに安く、時間は大幅に短縮出来る。マルコス夫妻は独裁の権威と権力を以って蓄財に励み、スイス銀行に膨大な蓄財を為した。これが徐々に明るみに出たから、人民革命が起きて夫妻はハワイに亡命したのである。イメルダは権威と権力を併せ持った女帝の時代にも、ニノイに対する復讐を忘れなかった。「ア・コ・ナ(俺がやる)」との兵士の声が未だに耳に残るが、密かに命令をしてニノイを銃殺させたのはイメルダに間違いは無かろう。飛行機から降りる寸前のニノイのひきつった表情は未だに忘れられない。

※明日に続く