昭和の時代「こんな女に誰がした」との流行歌が人気を博したことがあった。女を国に替えればまさしく韓国となる。有識者が唱えるように、国や民族を侮蔑する感情は抑制すべきであろうが、真実を歪曲してまで迎合してはならない。ソウル中央地裁での慰安婦訴訟の判決は、主権免除を前提にして真逆の結果となった。国際司法裁判所の良識に従えば当然であるが、それでは前回の判決は一体何であったのだろう。三権分立や情治政治そのものが疑われる司法判断である。前回の判事は全て異動となり、文在寅のセリフである「困惑している」を受けて別の判事たちが着任したのだ。同じ案件を審議するのであれば、一般的には同じ判事たちが担当すべきである。そこには日米支露の外交戦略に戸惑い、困り切った北朝鮮の執事がなりふり構わぬ政治判断をしたのだろう。嘘と捏造を対日外交の柱とし、千年恨を国民に教育したからこの結果を招いたのである。主権免除とは他国の主権を自国の裁判結果によって従わせることは出来ないとの規約である。それを今まで、慣例の如く破って来たのが韓国であり、支那であった。

 その悪例を踏襲し、悪しき和の精神を持って対応したのが日本である。河野談話や近隣諸国条項など「嘘でも大きな声で文句を言えば黙って言う事を聞く日本」を作り上げたのは外務省の裏切りであり、歴代政府の勉強不足と予見性の無さにあった。両親の極貧生活故に、或いは女衒(ぜげん)に騙されて苦界に身を投じざるを得なかった哀れな少女たち。これを旧帝国軍が買春したからと言って、何故責任を押し付けられねばならないのか。

※明日に続く