もう一つ例を挙げれば、支那の酒乱船長の無罪放免事件である。尖閣諸島に不法侵入した支那の漁船。それが海保の巡視船に何度も体当たりを繰り返し、その船長を逮捕した事件だ。本来であれば起訴し、裁判に掛けるのが立憲主義に適う行動であった。当然、支那の抗議は凄まじく、脅しを掛けて来たものだ。日米支の正三角形を理念とする当時の韓直人内閣は、枝野幸男や仙石由人と共に検察庁に圧力を掛けた。それまでにも柔らかい介入をしていたのだが、今回は強大な馬賊支那の後押しがある。恐らく国会で開陳しているような小賢しい論理を振り回し、非常事態宣言を検察に発出したのだろう。一色元春が怒るのはもっともだ。

 結果的に検察庁は俺、酔いどれ船長は釈放された。この時、不偏不党と政治的中立性は消え去り、旧民主党政権の前に屈したのである。その後、色々と理由らしき理屈を付けて弁解してみても、結果は負けである。野党4党は安倍晋三が政権寄りの黒川弘務を検事総長に昇進させて、身内を守ろうとの印象操作をし偽情報を流すが、検察庁が膝を屈したのは民主党政権だけである。では何が原因で検察庁法改正案に反対しているのであろうか。ネットで反対論が多出しているのは「やらせ」と芸能人の被洗脳である。デモに替わるもので、一知半解の輩が何となくお祭りに参加している感覚であろう。鍵は前検事総長を始めとする検事局OBの反対署名と運動である。凡そ、公務員に限らず民間の組織も、人事に関しては恐ろしいほどの執着がある。霞が関一家は省益ファーストと事勿れ主義と書いたが、それを上回るのが人事である。出世競争と言い換えても良い。最初一線に並んだ僚友の足を引っ張り失敗を咎めて、生き残りをかけた熾烈な戦争である。


 ※ 明日へ続く