イスラム教スンニ派対シーア派の過激な対立も派遣が原因であって、人間の命を導師であるカリフ(スンニ派)とイマーム(シーア派)が殺し合っている。預言者ムハンマドの後継者を巡っての争いだ。後継者を人物本位で選ぶスンニ派に対し、血統を重んじるシーア派の覇権争いである。全く宗教理念を無視した導師達の醜い対立であろう。全知全能の神アラーに帰依することが本義であり、ムハンマドの後継者争いを煩悩に任せる事は間違ってはいないのか。アラーもヤーベ(ユダヤ教)、エホバ(キリストと聖霊を三位一体とするキリスト教)も名前こそ違え同一神であるはずだ。全てはどうした血の煩悩が招いた災いである。

 黄昏国と天国は同じである。死後、霊となった限りある命が永遠に暮らす聖なる次元だ。だから国連の如き世界宗教会議が必要とされるのである。それに気付き始めたのがオマーンである。最近死去したカブース国王は、半世紀にわたってオマーンを統治した。中東のスイスと呼ばれる八方美人国である。僕が一番評価出来るのは人定書類からスンニ派、シーア派の区別をなくしたことである。中東では国籍の他に宗教を銘記させる国がほとんどだ。スンニ派かシーア派も銘記させるのだ。カブース国王はそれを無くした。イスラム教徒であればスンニ派もシーア派も無いと決断したのである。限りある命を庇護し生を全うした命を霊界に送り出す為に創り出された宗教が、導師達の煩悩によって無残に命を散らすことは許されないとカブース国王は思ったのであろう。人間の心のよりどころである宗教が目指す理念とは反対の方向に暴走し、たかが後継者争いの煩悩によってアラーの子供たちが殺し合い憎み合う愚を避けたいのがカブースの想いであろう。善人も悪人も全てがアラーの統治する天国に行きたいのであれば、導師達の煩悩を戒めるべきである。シハードの意味はアラーへの勤勉、忠誠を意味する。それを大ジハードと言うのであり、導師たちへの個人崇拝や煩悩を意味するのではない。日本の破戒坊主や宗教利用者たちも、オマーンの宗教意識を参考にし反省するべきだ。