こんにちは、スタルペスです。

昭和59年、ここ出雲で世紀の大発見がありました。これまで全国で発見された青銅器の銅剣が300本余りだったところに、ここ荒神谷遺跡から一度に358本もの銅剣が出土したのです。

翌年には銅矛が16本、銅鐸が6個出土し、平成10年にはすべての出土品が一括して国宝に指定されました。

これにより、出雲は神話の世界ではなく、実体としての「出雲」の存在が現実味を帯びてきました。

 

 

 

※荒神谷遺跡の入口です。

 

 

 

銅剣はすべて長さが50cm前後で、重さ500gあまりとほぼ同じ大きさに揃っていて弥生時代中期後半に製作されたとみられています。

銅矛は中広形14本と中細形2本に分類され、製作時期は、銅剣とほぼ同じか、若干後の時期と考えられています。また青銅器に見られる綾杉状のとぎ分けがあることから北部九州産であることが分かっています。

 

 

 

※左側が358本の銅剣、右側が銅矛・銅鐸の埋納状況

 

 

 

銅鐸の製作時期は、弥生時代前期末から中期中頃の間と考えられていて、6つある銅鐸のうち、二号銅鐸が京都市右京区梅ヶ畑遺跡出土の四号銅鐸と同笵であることが判明しており、三号銅鐸は伝徳島県出土銅鐸と同笵であることが確認されています。一般に銅鐸は近畿産と考えられていますが、北部九州産ではないかという説もあります。

 

 

 

※左から34本、111本 120本、93本の4列で埋納されていました。

 

 

 

以前は、九州を中心に西日本が銅剣文化圏で近畿などを含む東日本が銅鐸文化圏とみられていましたが、現在では西日本でも銅鐸が出土し銅鐸の鋳型も見つかっていますし、近畿でも銅剣の出土事例があり、今では銅剣文化圏や銅鐸文化圏などは存在しないと言われています。

 

 

 

※銅鐸と銅矛が同じ場所で出土したのはここだけです。

 

 

 

銅剣や銅矛は武器としての利用ではなく銅鐸と同様に祭祀として作られたものだと考えられています。

私はもこの358本の銅剣も銅矛同様に北部九州で製作されたものではと思っています。

それも、バラバラに調達したのであればこのように大きさが揃うはずもないことから、一度に1か所で生産をしたものを一人の人物がすべてを所有していたものではないかと思います。

 

 

 

※横から遺跡を眺めると急斜面に埋納したことが分かります。

 

 

 

このように一度に大量の銅剣を調達できる人物こそ、我が国の中でも強大な力をもつ者であり、それはとりもなおさず出雲を治めた首長だったのだと思います。このことから出雲は北部九州の勢力と緊密な同盟関係があったのではないかと考えます。そうでなければ358本という途方もない数の銅剣を手に入れることはできるはずもないものと思います。

 

 

 

※358本のうち344本の銅剣には×印が彫られています。

 

 

 

北部九州は、朝鮮半島や中国大陸と直接的に交易をおこなっており、中でも「鉄」は北部九州の専権分野だったのではないかと思います。その北部九州と交易をすることこそ自己の権力を維持するためには必須のことであり、北部九州を敵に回すことこそ自らの自滅を意味するものだったのではと思います。

 

 

 

※銅矛には柄が付けられた痕跡はなく「祭祀」の道具としてしか使っていませんでした。

 

 

 

出雲においても、日本海を挟み大陸との交流もあったことは事実だと思いますが、その規模は北部九州のそれとはまったく及ばなかったのではと考えます。

このことはヤマトも同様だったのものだと思います。北部九州を介して大陸との交易をせざるを得なかったヤマトはすべての覇権を我が物にしたかったに違いありませんが、北部九州はそれを許してはいなかったのがこの時代の状況だったのではないでしょうか。

 

 

 

※荒神谷遺跡の全景(見学するステージがあります)

 

 

 

この銅剣は、首長の武力の象徴として利用されており多くの銅剣を所有していることで首長の武力の大きさを表していたのではないかと思います。神に銅剣を奉げ奉納することで強大な武力を神から与えられると信じていたのではと思います。その捧げ物が多ければ多いほど首長の民からの信任は厚く大きなものになったのではないかと思います。

金色に輝く銅剣が神の前に供えられている景色を想像すると、その荘厳な光景が目に浮かぶようです。

 

 

 

※遺跡の見学のあと「荒神谷博物館」に向かいます(左手は古代はす池)

 

 

 

この神への供え物がなぜ大量に荒神谷に埋められたのでしょうか?

私が想像力をたくましくして考えるに出雲の首長は、武力による神への祈願をしなくてもよくなったということではないかと思います。

 

 

 


※荒神谷博物館


 

 

古事記による国譲り神話により、出雲の地は政治的にはヤマトの支配下にはいったことを意味するのではないかと思います。これまでヤマトとの闘いで神に多くの捧げものをしてきた出雲の首長ですが、ヤマトに屈した今、その銅剣の霊力はなくなり、役割を終え神聖な地"荒神谷"に埋納されたのではないかと思います。