野田城址 | すますまスマロンのブログ

野田城址

愛知県新城市豊島本城
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野田城は菅沼定則が永正2年(15051)に築城し今川義元に属した。
1560年 義元が桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られると菅沼定盈は徳川家康の支配下に入る。
1572年 武田信玄は2万の大軍を率い野田城を取り囲み籠城戦となった。
信玄は城内の井戸に穴を開け水を抜くという戦術を敢行し攻防1ヶ月の末に落城。
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籠城中の野田城では村松芳休という笛の名手が毎夜笛を吹き皆その笛の音に聞き惚れ武田信玄が軍を離れて城に近づいた時 鳥居三左衛門に鉄砲で撃たれ、その傷がもとで亡くなったという伝説がある。
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現在は主郭跡と二の曲輪跡があり空堀や土橋が遺る。

独り言
城郭には信玄が水抜きを行った井戸が遺るなど中世城郭の面影を今もとどめている。
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また近くの法性寺には城門が移築保存されている。