埼玉の川と街道(2)荒川支流・入間川と新河岸川と街道
埼玉の川と街道(2)荒川支流入間川と新河岸川と街道概略図は下記クリックさいたまの川と街道F - Google マイマップさいたまの川と街道F www.google.com1,荒川支流・入間川入間川は、荒川の支流としては最長である。江戸時代の頃は、舟運が江戸の市中まで通じた。標高1,294 mの大持山の南東斜面に源を発し、飯能市、入間市、狭山市を流れ、その間に成木川、霞川、越辺川などの支流を合わせ、荒川に合流。(川越市古谷本郷)飯能河原の先、岩根橋より上流の旧名栗村の地域では名栗川と呼ばれているが、埼玉県では「入間川」としている。古代の入間川は単独で東京湾へ注いでいた。(最下流は隅田川)。荒川は入間川とは合流していなかったが、江戸時代の1629年に荒川の付替えが行われ、熊谷市久下から現在の荒川合流点まで開削し、現在の流れが形作られた。江戸では火災が多発し木材が足りなくなると、入間川を使い、名栗村から大量の木材を運び入れた。その木材は、江戸の西の川から運んだことから「西川材」と呼ばれるようになった。1,入間川支流・成木川(なりきがわ)青梅市の北西部の成木7丁目に位置する黒山に源を発し東へ流れる。青梅市江戸時代には、木材の運搬にも利用されていたという。成木出張所付近で北小曽木川を合わせ、加治橋付近で入間川に合流。(飯能市落合)1,入間川支流・越辺川(おっぺがわ)埼玉県入間郡越生町黒山地区の黒山三滝付近に源を発する。源頭は関八州見晴台である。流域には黒山鉱泉がある。ここより越生梅林を抜け、鳩山町で鳩川を合わせる。東へ流れ、坂戸市で高麗川を、比企郡川島町で都幾川をそれぞれ合わせ、川島町角泉付近で入間川に合流する。高麗川(こまがわ)越辺川の支流で、埼玉県南西部から中部にかけて流れる。飯能市、横瀬町、ときがわ町の境である苅場坂峠付近に源を発し、南川と北川が合流して高麗川と呼ばれるようになる。飯能市、日高市、毛呂山町を流れ、その間に長沢川、宿谷川などの支流を合わせ坂戸市で越辺川に合流する。かつて高句麗から渡来した高句麗人を受け入れた高麗郡(現在の日高市周辺)を流れることからこの名がある。1,荒川支流・新河岸川上流から川越市、ふじみ野市、富士見市、志木市、朝霞市、和光市、板橋区、北区を流れる。地図上の起点(川越市下奥富)(赤間川の起点?)武蔵野台地北部に降った雨を集めた伏流水や入間川からの水田用水を水源とする赤間川が、川越市上野田町の八幡橋付近で新河岸川と名前を変え、起点となる。ここに「新河岸川 起点の碑」がたつ。川越の市街地の北側を回り込むように流れる。(途中の田谷橋まではかつての赤間川である)不老川が合流。(川越市砂)九十川が合流。(川越市南田島荒川の西岸沿いを流れで隅田川に合流。(岩淵水門近く)江戸時代、川越藩主松平信綱が、「九十九曲り」と言われる多数の屈曲を持たせ流量を安定化させる改修工事を実施し、江戸と川越とを結ぶ舟運ルートとした。これ以降、沿岸には新たに川越五河岸をはじめとした河岸場が作られ、川の名も「新河岸川」と呼ばれるようになった。舟運は特に江戸時代末期から明治時代初めにかけて隆盛した。客を乗せる早舟は、川越夜舟とも呼ばれ、川越城下を午後3時に発って一晩かかって翌朝8時に千住、昼前には花川戸へ着いた。大正時代には東上鉄道(現在の東武東上本線)が開業した結果、舟運は衰退していった。1,川と街道川越街道(板橋~川越) 柳瀬川、新河岸川を越える。川越児玉街道(川越~藤岡) 新河岸川 、入間川,小畔川、越辺川、都幾川、荒川、 小山川、神流川を渡る。秩父往還吾野通り (所沢~横瀬町芦ケ久保) 入間川、高麗川沿い秩父往還名栗通り(入間~横瀬町芦ケ久保~秩父) 入間川沿いを歩き、入間川 起点の碑を過ぎる所沢街道(新中野~所沢)新柳瀬川を渡る。日光脇街道(日光千人同心街道)(八王子~佐野) 入間川、越辺川、都幾川、荒川、利根川、渡良瀬川を渡る。