タイの人はよく寄付をします



タイ人の社長夫妻も、地方の学校に食堂を寄付したり、食べ物を寄付したりしていました

もちろん私が観光で訪れた寺院でも、お布施をしていました



必要以上のものはもたなくてもよい



工場の竣工式で執り行われた仏式の儀式

お坊さん9人


彼らの食事は一日1回

お肉はNG


お坊さんには、お布施とお食事とお供えものを差し上げます


食事はお坊さん各自が持参したおひつのようなもの(首から下げて前で抱える)にご飯をよそい、それからおかずもそこに入れながら召し上がっていました

量はかなりありました


お供え物はシャンプーやせっけん、乾電池やノートやペンといった実用的なものが一人分ずつパッケージになっています

お坊さんたちはお金を持たないので、そういうお供え物で生活をするのだそうです

結婚もしません



タイ人の男性の多くは一度はお坊さんの修行をするそうです

数週間から数か月

そこで仏教の教えをきちんと学ぶことが一人前として認められる証だそうです

場合によっては修行をしていない男性は結婚できない場合もあるとか



仏教は本当に人々の暮らしになじんでいるというか、溶け込んでいるというか、その空気感はなんとなく心の懐かしい部分で共感を得るものでした





ふと考えると、今東南アジアでの不動産投資ってものすごく盛んです

タイも然り

話はよく聞きます


でも、それって誰のための「投資」であり「利益」になるのだろうって思いました


日本人にとって、タイは暮らしやすい国です

物価も安いし、安全だし、文化も非常に溶け込みやすいし、何より人を笑顔で受け入れる温かさがタイにはあります



でも、多くのものを持たず、自然と祈りの中で生きている人が多い国に投資のための不動産を建て、外国人向けの賃貸収入と、土地価格の上昇を期待して投資をする


それってタイの人が本当に望むことなのだろうか?



日本の技術が国をわたってタイの人々を雇用し生活が豊かに便利になる

これはよいことだと思うのですが、果たして不動産投資といったものは本当にその国に対する「投資」になるのだろうか

投資ってもっとどっしりとした価値を生み、成長させるものじゃないのだろうかって・・・



タイのお土産もの屋さんには、どこか懐かしい雰囲気のものがたくさんあります

400年前の交易等々で、文化交流もたくさん行われたのでしょう



日本人と一緒に仕事をしたい

日本人とは友達になれる

日本人は信頼できる



そういうタイ人の親日感情は過去の長い歴史から培われたもの


日本の投資マネーが、タイ人が望まない形で行われ、日本人が日本人の利益のためだけにタイという美しく豊かなた国を「利用」してしまわないように


そんな風に思ってしまいました



タイでお世話になった方々

優しくしてくださった方々



素晴らしい時間をありがとうございました!