大学の秋入学とか、企業が外国人留学生を積極的に採用するとか



今頃になって・・・という感もありつつの国際化



ま、実力主義でこれからますます厳しくなるのでしょうけれど、人と人とのつながりもやっぱり変わっていくのかなと思います




アメリカで暮らした4年間



いずれ日本に帰ることを前提として暮らしてみて、人との付き合い方について考えが変わりました



日本にそのままいたら、きっとこんな風には思っていなかったも・・・って思うのですが




人は、常に別れることを前提にしておつきあいをしているのだということの認識




家族であっても、恋人であっても、職場の同僚であっても、親友であっても



すべての人とは別れる日が来る



だからこそ、おつきあいができる縁に感謝し、誠心誠意で接する





日本人だとやっぱり農耕民族だから、ずーっとそこにいるって潜在的に考えている


家族関係もそう、夫婦関係もそう

なんとなく甘えあい、頼りあり

きっと許してもらえるなんてどこかで言い訳


だって、その人がいなくなるなんて考えられないもの



だから、それがなくなるときなぜって思い、心が乱れ、自分を失ってしまうことも




欧米人の家族関係は、物理的にはかなり早い段階でわかれる



また私が知る欧米人夫婦も結構頻繁にわかれる



欧米人に限らずアジアの人々は、職場もしょっちゅう変わる



そんな人たちと接しているうちに、別れの必然性を受け入れるというか、そういう日が来て当然と思ったり



だって、考え方は日々変化して良いものだし、人間は成長するものだし、世の中変わるものだし




だから、人とのおつきあいが終わっても当たり前



そんな風に思えるようになりました





あっさりしているといえばそれまでですけど、分かれを当たり前とうけいれることができれば、、気持ちの持ちようも変わります





もちろんお別れはさびしいのですが、それがやはり次のステップであればこそ、握手をしてハグして別れたい、そう思う



自立し、意思もしっかりしている人とのお別れは、こちらも成長のきっかけになります


ショックは確かにありますが、ものすごい刺激になるし、それが励みにもなる


そういう人とのお別れ、過去数回ありました

今でも忘れずにいる大切な人たちです



一方そうじゃない人とのお別れは、ものすごく後味が悪い





素敵な出会いをして、素敵な別れ方をする



私の人生の一つの理想形かな?




素敵な別れ方をした人って、不思議といつか必ず巡り合ったりするんですよね

そして、またそんな人ってますます素敵になっている





良い別れ方をするために、良いおつきあいをする



今のおつきあいにウソをついてはいけないんです