最近ちょっと取材を受ける状況が続き、私の発想はどこからくるのか?的なことを何度も聞かれました
社会の仕組みを知ろうよ
自分の将来に責任をもとうよ
ゴールのために今やるべきことをしっかりやろうよ
普通に思っていることを普通に言っているだけなのに・・・
そもそも損得でものが言えない性格、いつもストレートに心にあることを言ってしまう
そうか、私のこういう考え方って、いわゆる一般的な物の見方とはちょっと違のかも
そんなことを感じてしまうような出会いが続き、その「発想の根底」なるものを改めて考えてみました
やっぱり考えるきっかけというのは、自分の経験にあります
特に私の場合、海外で過ごした時間は大きかった
特に結婚というそれだけでも新しいことの連続の中、アメリカに行き、そして学位をとることを目標にしたいきさつというのは、まあそれなりにいろんなことがあったわけです
また帰国後義父の経営する会社に入り、海外業務や人事の仕事、そしてこまごまとした総務の仕事など経営者と従業員のちょうどど真中的な位置づけで7年
まあここもそれなりにハードな日々でした
私の20代と30代前半は、○○すべき、みたいなことにがんじがらめになったり、求められている結果と自分の実力のかい離にどうしてよいか分からなかったり
またふと周りをみると、社会的な暴力がはびこっていたり、理不尽なこともいっぱいだったり
っで思ったんですよ
ものすごーい困難にぶつかったとき、基本選択肢は二つだな
「逃げる」と「耐える」って
でも、逃げるのも耐えるのもイヤだった・・・というかどちらも選ぶ勇気がなかったので、ただただそこにいただけだったんですが、少しずつ分かることもありました
「そうだ、立ち向かうって選択肢もある」って
といいつつ、立ち向かうにはあまりにも弱すぎる自分だったので、「立ち向かえる自分になるために、自分を変える」ことにしたんですけど
自分のどこを変えようと思ったかというと、「言いわけをしないこと」
できないのは、○○だから
とか
それは私の意思ではなく、○○に言われたから
とか
すべては私が選んできたことで、原因はすべて私が作ってきて、「今」は必然なんだしって思ったら、言いわけをしている自分がとてつもなく恥ずかしくなった
というわけで、言いわけをしない人生にしよう!と思って独立して仕事を始めたのが30代の半ば
それからなんやかんやと10年
今やっと20代、30代の自分の思いが無駄じゃなかったと思えるようになったし、あと10年は頑張れそうとういう根拠のない自信もできてきたところ
ま、正直立ち向かうほどのことはしていませんが、すくなくとも逃げてもいないし、耐えてもいない
いろいろ思うと人生短い
ほんと、ミジカッって思います
だから今精一杯
逃げた先に何があるのか?
耐えるだけの人生に意味があるのか?
だったら、立ち向かう
ファイトバックする力はないけれど、少なくとも顔をあげて立ち向かえたら、なにか解決策が見つかるかも
そんな風に思っています
なーんてね、思ってはいるけど、この机の乱雑さとTO DO LISTの長さを見たら、
この現実から逃げたい!!っていつも思ってますけど^^;