東北の人は、無口だとよく言われます
寒いと口を開くのがおっくうになります
雪が降ってるときにしゃべると口の中に雪も入るし、ちょっと面倒です
東北の人は、粘り強いとよく言われます
東北の地で生きること自身、簡単なことではないので、当然粘り強くなければならないのではないかと思います
雪が降る
雪かきをしないと道がない
寒い中、何時間もかけて道を作る
また雪が降る
一晩で道がなくなる
翌朝早く起きて雪かきをする
いやだといっても、しょうがない
「やんねばなんね」ことなのでやります
産業もこれといってありません
現金収入を得る、それも年間を通して安定した収入となると難しい
東北人は根性があると言われることもあります
多分人生のオプションが少ないから、あきらめる=何もないとなるのが分かっているから続けるのではないかと思います
仕事をやめたって、次の仕事、というか仕事事態がないわけですから、「がんばんねばならね」わけです。
東北人は想いやりがあると、最近テレビでよく耳にします
人が少ないですから、想いやりでつながっていないと、コミュニティとしてなりたたないのかも知れません
東北人は前向きと、テレビで誰かがほめていました
東北人が見ている前は、それほど遠くではないと思います
太陽がぎらぎら輝く明るい未来をみているのではなく、今晩寝て起きたときの柔らかい朝日
とりあえず何があっても翌日には必ず昇る朝日、それを信じているのでは・・・
だからあまり突飛な夢を語る人はそう多くはありません
結構地道が夢を語ります
関西人の夫と出会った時、カルチャーショックでした
いや、それより高校を卒業して東京に出てきた時、ものすごいカルチャーショックでした
同時に、世の中ってこんなにも広いんだ!ということにびっくりするとともに、どきどきしました
うわー楽しい!
私も頑張ればもっと違う日常を作り上げられるかも知れない
そんな風に思いました
今感じることは、東北の若者たちが今回のダメージで外で学ぶことができなくなることです
地元を支えることは大事ですが、外の世界を知り、外の人から刺激を受け、外の力を使うことも大事です
高校を卒業して、町で働く
「なーに、勉強すたったって、何にもなんねーべ。それよりかせげぇ」みたいになってしまうと、それこそ「東北人らしい良い人」になってしまうのではないかと
東京に出て、あるいはアメリカの大学に行ってみて正直
「もっと前にチャレンジできる環境に身を置くことができていたら、もっとチャンスが広がったかも知れない」と
もちろん実力が伴わなければチャンスをものにできませんが
東北に生まれ、東北で育ち、東北で働き、東北で老い、東北で亡くなる
それも素晴らしいことだと思うけれど、もしその中でもっとチャレンジをしたい!アウェイで戦ってみたい!という人がこれから出たら
もし、その人が今回のダメージでチャレンジができないようなことがあれば
それはもったいないと思うのです
なんとなく支離滅裂ですが
18歳で外に飛び出した人間から見ると、東北人の人の良さだけがクローズアップされるのがなんとなくもどかしいというかなんというか
うまく言葉にできないのですが・・・
ここは我を強くもって、多少わがままになりながらも、そして声だかに主張しながら生きても良いのではないかと思ったりしています
東北人の美徳を持ちながらも
でも、「しょうがねーべ」ではなく
あれもしたい!これもしたい!という生き方を考えてみるのも良いのではないかと思うのです
愛すべき東北の人たち
わがままをもっと言ってもいいんじゃないですか?
遠慮することなく、欲しいものを手に入れるというがめつさも必要かも
ふるさとにもしとどまることができなくなったら、多分その位の気持ちでいないと、東北の人のようにおとなしくしていると生きていくのがきつくなるかも知れません
「いいんだぁ、これで」じゃなくて
なんとなく、これからの復興が必ずしも前の生活を取り戻せることにはならないのではないかという危惧があり、気のいい東北の人が他の地方で生きていくことの苦労をちょっと気になってしまいました
ぶつぶつ言いましたが、頑張ってほしいんです