日経新聞の最後のページに連載されている「私の履歴書」を読むのが好きだ



ついでにそのしたあたりにある「交遊録」も・・・



読んでいて思うのは「人のつながりとは素晴らしいものだ」という感激。


そして、名を成す人は、必ず有形無形の財産をたくさん持っているということ。



幼いころ貧しかったという人は、必ずお母さんがとてもしっかりした人で、愛情をもって厳しく育ててくれた、とかお父さんが志高い人で、お金はなかったけれど人望が厚かったなど


反対に幼いころから裕福だった人は、学びの環境がとてつもなく良い。幼いころから海外で学び見聞を深め、そこで生涯の友を得る。またその生涯の友も成長して各国の有力者となったり。





こういうストーリーを読んでいるとアメリカの留学時代にお世話になったウクライナ出身のKさんを思い出す。


Kさんご夫婦は当時ソ連からの亡命者。着の身着のまま幼いころに家族と国を捨てアメリカで新しい生活を築き上げた人。


もちろん亡命当時はお金なんかなかったら、どんな仕事でもいとわず働き少しずつお金を貯めていったとのこと。貧しい中でも子ども、あるいは孫の教育には全霊を注ぎ、もっとも大切なものは教育といつでもおっしゃっていた。



教育とは、国語や算数といった基礎学力はもちろんのこと、コミュニケーション能力であったり、物事を探求する力であったり考察力であったり。つまりは世の中を良くするための力ということも教えてくれた。




そんな経験を積み重ねていくと、今しなければならないことがおのずと見えてくるような気がする。



学び続けること。自分に将来よりよいものを生み出す力を今から仕込んでおくこと。



ようは自分への投資を続けること。




同時にこれからの時代を一人で生きていかなければならない子どもにも投資をし、その子どもが将来存分に世の中で力を発揮できるよう価値ある投資を続けることなんだろうな




そう思いながらも大したことはできていないけれど、私が意識して続けていること



・子ども名義での投資信託の積立


・NPOでの活動(子どもと地域のための活動)


・クレジットカードのポイントを使わず寄付すること


・学ぶ姿勢をいつでももつこと




こんなもんか・・・思っていてもほんのちょっと




子どもにも広い視野を持った人間に育ってほしいから、海外には行かせたいと思う。


日本でも最近は「格差」という言葉をよく耳にするけれど、海外にいったら日本の比じゃないくらい「格差」の大きさを感じる。



私ができることは、私なりに頑張って


子どもが将来私ができないこともできるように、今から有形無形の投資を続け10年後、20年後その投資が子どもの中で力を熟しその力を発揮できるようになってほしいな



・・・鼻歌交じりにうわばきを洗っているのんきな娘を横目で見ながら、思ったりしています