夫にくっついて、アメリカで生活できる!とホントお気軽な気持ちでのこのこ渡米した私。
いざ生活を初めて見ると
言葉は分からない
生活のすべての勝手が分からない
道は分からない
買い物も不便
テレビをみてもつまらない
・・・とすべてがネガティブ
夫もなにかとストレスがたまるようで、むちゃくちゃ不機嫌。
そんな中いろいろとお世話をしてくださった日本人の奥さんが「うちに子犬が産まれたからよかったら見にきて!」と誘ってくださいました。
夫と二人、出かけてみると
「かわいい~」
ラサアプソ という種類の犬で、シーズーより一回り大きい当時アメリカでは非常にポピュラーな犬でした。
すでに何匹かの子犬は貰い手が決まっていると言われ、私たちもその場で「ぜひうちにも1匹ください!」と即決
生後6週間は母親から離せないというのでそのあとはお許しがでるまで毎週のようにそのお宅に通い、「わが子」と対面しました。
そして待ちに待った受け取りの日。
新しいブランケットを買い、水飲みボールやらえさやらケージやらいそいそと準備しいざ引き取りに。
ホントに小さくてかわいくて、私たちは有頂天で子犬をさっそく近くの公園につれていきました
考えてもみれば、まだ生後わずかしかたっておらず、いきなり外に出し走らせたのがそもそもの間違いです。
私と夫がさっそくつけた「ビッキー」という名前を呼ぶとうれしそうに走ってくるのが楽しくて、夫と私の間を交互に行ったりきたり走らせていたら急にビッキーが泡を吹いて倒れたではりませんか!!
え~、ど、どうしたの?
私も夫もパニックに
その時は近くにいた人が、少し水を飲ませ静かにしていれば大丈夫とアドバイスしてくれ、ことなきを得たのですが私たちの子育てはその後もひっちゃかめっちゃか。
草むらに連れて行きハチにさされて動物の救急病院に運んでみたり、
ブドウをおいしそうに食べる姿がかわいくて、ふたりで競争してあげていたらブドウの皮が消化が悪いそうでお腹を壊して入院。
小さな手に点滴を受ける姿に思わず涙したり・・・
爪を切っていたら、指まで切ってしまい、またまた病院に駆け込んだり。
でも、ビッキーのおかげで行動範囲も広くなりなにより夫婦の共通の話題ができ、本当に幸せを運んできてくれました。
もちろん帰国の際は日本に連れて帰ってきました。
私たちの航空券が1000ドルに対してビッキーの飛行機代は2000ドル。
検疫もあったので仕方がないと思いつつも、その出費には唖然
その後、大阪から千葉に引っ越すなどしながらも元気で暮らし、やがて娘が生まれてからはいい遊び相手になってくれました。
赤ちゃんだった娘のそばにぴたっといつもくっついて、少しでもなくと私に知らせてくれたり。
娘に顔をいじられても、しっぽを引っ張られてもじっと我慢で、遊んでくれたり。
歩行器を使いだしたころは、娘に追いかけまわされながらも吠えることもせずしんぼうしんぼう。
娘にりんごのスライスを持たせると、ビッキーの口と娘の口をりんごが行ったり来たり。
衛生上は問題大ありだけど、病気ひとつしなかったからOK?
そんなビッキーも次第に年をとり耳は遠くなり、トイレも分からなくなりおむつをつけるようになったのは娘が幼稚園のころ。
それでも、娘の一番の友達であることには変わらず、幼稚園から娘が帰ってくるのをじっと玄関で待っていたっけ。
娘が1年生の時、その日に限ってふらふらと庭から脱走し、一人で道路に出てしまって・・・
私たちが見つけたときは、車にあたってしまったのか内臓がすっかりはれ息も絶え絶えでした。
初めて直面した大切な家族との別れに、幼い娘も胸を痛めていました。
思い出すと今でも涙が出そうになるけど、私たちと一緒にいてくれた14年、いい思いででした。
アメリカでの生活を支えてくれた大事な家族です