アメリカの大学は、入るのは簡単とはいえ、なかなかどうして、日本でまったく準備もせずに渡米してしまった私にはハードルはかなり高かった・・・


TOEFL500点以上というのが大学入学の条件


最初に受けたときは確か400点位。


それから3、4回受けたのだろうか?毎月のようにTOEFLの試験があったので何度かチャレンジして最後になんとか512点を取り入学の許可を得ました。



その間、家庭教師についたり、高校の授業を取ったり(定時制というかフリースクールのような学校)、いろいろ試した結果1990年の9月に入学することに。



入学許可を得たといってもその後は毎日英語の授業(当たり前だけど)できるの、本当に????



OSU(オハイオ州立大学)では留学生のために1クォーター(3か月間)のトレーニングプログラムがありました。


私は9月入学に備えて、ALP(アメリカンランゲージプログラム)に参加。



ここではノートの取り方、プロジェクトのまとめ方、授業のきき方などかなり実践的なことを学ぶことができました。


特にわたしにとって最も大きな収穫は、パソコンを習ったこと



今でこそパソコンなんて当たり前だけど、渡米前の私はJTBに勤めていたころ、航空会社の端末をちょこっといじったことがあるくらい。


それなのに調べものするにも、レポートをまとめるにもパソコンが使えなければどうにもならないという状況の中で、パソコンを教えてもらったことは本当にためになりました。



驚くことに、OSU校内に24時間使えるパソコンルームが何箇所かあり、そこでは学生のアルバイトが駐在していて私のようにパソコンの使い方知識ゼロの人間に丁寧に教えてくれたのです。



当時、アップルコンピューターを初めて使い、ワードで文章を作成し、ロータスで表計算を行うというきその基礎を教えてもらったので、そのあとの大学生生活を無事まっとうできました。




それからALPのプログラムに関していえば、大学の図書館のOCLCっていったけ?検索システムには度肝を抜かれました。


検索なんて言葉、当時は知りませんでしたから・・



またライブラリアンという職業も、初めて出会いました。どんだけ助けてもらったか。



キーワードを考えて、リサーチするなんて方法も、ALPの課題のおかげで、なんとかできるようになりました。



確かにOSUに入ってからも、1年生からやり直しになったものの、あれほど勉強が楽しいと思えて、一生けん命勉強した日々は後にも先にもあの3年間だけだったような気がするほど充実した毎日でした。



なにしろ、大学に入るのは簡単だけど出るのは難しいといわれるだけに、成績も平均以上を維持しなければ退学になりますから・・・


英語のハンディがあるので、辞書持ち込みで試験を受けさせてもらえるように、教授に頼みに行ったり、


先生のオフィスアワーと呼ばれる質問ができる時間帯には、必ず先生のオフィスに足を運んでチョー簡単な質問をなんども繰り返したり。



でも、どの先生もめんどくさいなんて顔をせず熱心に教えてくれたな~


OSUは4学期制なので、私は夏休みも授業をとり、結果11クォーターで卒業することができました。


3年間の駆け足です。


そもそも夫の仕事&勉強の予定が3年程度とのことだったので、とりあえず卒業しなければ!と思って一生懸命勉強してました^^



海外留学というと語学を学ぶためという考えの人が多いかもしれないけれど、私にとって、英語力をどうのこうのより、学ぶことの素晴らしさをしったことの方が留学の収穫。



英語は決してネイティブのようになれなかったけれど、ものの考え方、リサーチの仕方、まとめ方など本当に勉強になった。



世の中にはできるだけ若いころに英語をマスターさせるために海外留学をしたい、させたいという風潮もあるけれど、私はある程度大人になってから留学する方が得るものは大きいのではないかと思う。


英語なんて、ツールだから使い方がわかれば用が足りる。


その人自身に魅力があれば、片言の英語であっても心は通じるし海外でも信頼を得て活躍することもできる。



「留学してよかったですか?」と聞かれれば、私は「もちろん」と答える。


英語をマスターするとかそんなことより、もっと大きく輝く収穫があるから。




自分が頑張って、もう一段階段を上ると、またひとつ違う風景をみることができるように、違う世界でチャレンジすることに意義があるのだと思う。