私がアメリカのオハイオ州で過ごしたのは1990年から1994年まで
ずいぶん昔だな~
90年の1月に結婚式を挙げ、途中ハワイに新婚旅行にでかけそのままオハイオのコロンバス入り
常夏のハワイでのんびりゆったり過ごして飛行機でコロンバスに
コロンバス到着は夜だったので、飛行機の窓から下を見ると雪をかぶった家々の屋根が見え、さむそ~。
でも落ち着いた街並みにきれいだな~っと思ったことを覚えています。
空港に出迎えてくれたのは夫の研究室のお友達。
後々にカップルとなるレイとマーカス。150cm位の小柄なレイと190cmくらいもあるでっかいマーカスに空港で出会ったのが私のコロンバスでの生活の大一歩
レイはチャイニーズマレーシアンなので、なんとなく顔つきも親しみがもて、英語がダメな私のためにゆっくり話をしてくれてどんなに助かったか。
本当に彼女は思いやりの人。あの日以来20年近く親交が続いています。
マーカスの飄々とした姿はどこかユーモラスで、優しさがあふれています。
当時夫は結納を6月に済ませて一足先に渡米。
アパートなど生活に必要な準備を済ませ、正式な修士の学生にはまだなれていなかったものの、研究室で勉強をさせてもらっていました。
この研究室に所属するのは、ドイツ人が多く続いてインド人、スウェーデン人、中国人、韓国人、夫、唯一のアメリカ人。
夫は理系の人間、アメリカでは技術系離れのためビジネス学部や法学部、医学部というところは人気だが理系は人気がない。だからアジアの人間とドイツ人ばかり・・・ということを聞きました。
でもこの研究室のメンバーがいてくれたおかげでどれだけ楽しい日々が過ごせたか・・・
遅れて9月から私も大学生になるのですが、私は授業を選択しながらの学部生なので、クラスメートと呼べる人がいなかったので、研究室のメンバーほど実は深いつきあいの出来る人ととうとうであえませんでした。
私の周りは10代、研究室のメンバーは20代から30代が多く、精神的に自分と違う人間を受け入れる寛容さがあった、ということかもしれませんが。
彼のオフィスメイトとは、BBQパーティをしたり
ピザランチョンをしたり
自転車のレースに一緒に参加したり
特に仲良しだったのは、ドイツ人とスウェーデン人でいつも6人位でいつも遊んでいました。
ヨーロッパ人の彼らは、絶対女性には恥をかかせない!という紳士でもあったので、おまけのようにくっついているだけの私にもとても優しくしてくれました^^
ホント日本人とは大違い。それもとってもさりげなく。
ある日オーケストラを聴きにみんなで出かけたとき。いつものきたな~いカッコではなくちょっとだけおしゃれをしてでかけたら、
「今日は、シャネルだね、よく似合うよ」
ハワイの空港でサンプルでもらったシャネルの香水をちょっとだけつけてみただけだったのに、さりげなくほめてくれて、私も有頂天
ドアも開けてくれるし、ありがとうって言うと、「マイプレジャー」!!
なんて素敵なの
夫は「シャネルってなんやねん」ってぼけてるし。
文化の違いをみせつけられました。
夫は4年間のアメリカ生活で結局ジェントルマンにはなれませんでしたが・・・